第771夜:幾雄さんの栄治郎型
こけし手帖212号に、「岡崎幾雄の手紙」という記事が載っている。執筆者の原田氏が昭和53年度の第1回こけし談話会「岡崎栄治郎型こけし」に関連して幾雄さんに問い合わせた返信で、談話会で報告されたものとのことである。その記事に沿って、こけしを見ていきたいと思う。
幾雄さんが栄治郎型を作り始めたのは友の会の小野氏に勧められたからで、昭和31年のことであった。友の会に送った栄治郎型は大好評であり、土橋氏と「たつみ」森氏の依頼で10本程「たつみ」に送ったのが、市販の最初だった。幾雄さんの店「能登屋」は土産物店と酒小売店を兼ねていたため製作数は多くなかったが、それでも昭和32,3年頃までは余り多忙でもなく、こけしもかなり作った。35,6年頃より世の中の景気が良くなり、店が忙しく、こけしは殆ど作ることが出来なくなった。昭和38年春の友の会旅行の時は約40本位は作った。この頃までは幾雄さんの工場で、幾雄さん自身が木地を作り、描彩していた。
写真(2)は左から、昭和31年作(「こけし美と系譜」の写真)、尺2分(32.3.10の記入あり)、7寸1分(頭が栄治郎型、34.5.10)、尺6分(37.3.10)、尺5分(38.1)である。上記の記事より、いずれも幾雄さん本人の木地と思われる。左から2本目の32年作は31年作と木地形態は殆ど同じ。横長の大きな頭とすらりとした帯付きの胴が見事である。顔の表情では、目がやや丸みを帯び手慣れた感じが出ている。胴模様では、左脇の蕾は描かれているが、右脇の横花は省略されている。3本目の直胴は頭のみ栄治郎型で、目がやや細くなってきた。4本目は店が忙しくなった37年初め頃の作。頭が縦長となり胴もやや太くなって形態が甘くなっている。胴左脇の蕾も描かれなくなったが、帯上に横葉が描かれるようになり、これ以降、幾雄栄治郎型の特徴となる。右端は38年1月作で友の会旅行を控えた作。そのためか頭の形、胴の形態など初作に近くなっているが、描彩は前年作を踏襲している。
38年の友の会旅行の後、店が多忙のため木地まで作ることが出来ず、人の勧めで大宮正安さんに木地を頼み、38年から39年頃にかけて3,40本づつ2回作ってもらった。その後も多忙で木地は挽けず困っていたところ梅木修一さんが木地を作ってくれることになり、2,30本作ってもらった。昭和42年11月の友の会旅行の折、こけし製作の依頼があり、その準備をしていた時に火災となって工場を全焼し、こけしも作れなくなった。43年頃から注文が増え、梅木さんの木地で少しずつ作っていた。民芸店「おおき」の大木氏とは49年に肘折に行った折に一緒になって、こけしを頼まれ、清次郎さん木地に17,8本描彩して送った。
写真(3)は左から、9寸8分(38年頃)、7寸8分(同)、尺3分(40.3)、尺7分(51.7.24)。上記の製作経過から、左2本は大宮正安木地と思われる。3本目は大宮正安または梅木修一木地。右端は「おおき」で求めたもので清次郎木地であろう。大宮、梅木両工人の木地は、最初に仙台屋のこけしの原寸をとったと幾雄さんは言っているが、やはり相当な違いが見られる。一番の違いは頭の形が丸いのと首の襟巻の形であろうか。幾雄さん本人の木地と較べると丸っこい印象を受ける。
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