第772夜:民之助(面描初見?)のこけし
「こけし辞典」で、民之助をおさらいしておこう。遊佐民之助は明治22年の生まれ。16歳で鳴子に行き、叔父高野幸八の弟子となり23歳まで修業した。年期明け後は家族を鳴子に呼び大正2年、湯元で独立開業した。その後、各地を転々としが昭和9年頃に岡崎才吉工場で大物製作に従事した。昭和15年から18年にかけて収集家の依頼で少数こけしを製作、戦後は昭和26,7年に復活してこけしを作った。昭和28年、鳴子で没、64歳。こけしは、昭和9年以前のもの、昭和15~18年の戦前復活作、戦後の復活作の3期に分けられる。
写真(2)は左が「愛玩鼓楽」の742番(5寸3分)で、右が本項のこけし(6寸2分)。非常に良く似ているのがお分かり頂けると思う。「愛玩鼓楽」の解説を引用しよう。『5寸3分・昭和14年。前髪の後ろに引き上げて描かれる髪は3本に分かれる。民之助は昭和15年から18年に少数作ったといわれるが、これはその前年で、744~746の松田初見と一緒に入手したものと思われる。面描以外の描彩は民之助に間違いないが、面描は初見の可能性もある。木地は初見である。蒐集家にこけしを依頼され、初見を手本として描彩の練習をしたのではないだろうか。』
写真(3)は左が第473夜で紹介した初見8寸(昭和14年)で、右が本項のこけし。民之助と初見の、面描以外の描彩の違いが分かると思う。特に、前髪を纏めて後ろに垂らした髪の本数(民之助は3本、初見は2本)と、胴の菱菊の描法の違い、民之助は菱菊の下部に3筆の赤い土を描くことなどが明瞭な違いである。写真(4)に頭頂部の描彩の違いを示す。
しかし、面描(眉・目・鼻・口)は初見と思われる。この時期の初見の面描は、「古計志加々美」で「明眸のこけし」と形容されているように、「目もとがはっきりして美しい」ものであり、復活で描き始めた民之助が、これほどまで初見にそっくりに描けるとは思えないからである。民之助の面描は自身のものに別種の趣がある。こけしにおける面描は重要な要素であり、本項のこけしも民之助の衣を纏った初見のこけしと言った方が適切かも知れない。
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