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第795夜:小島さんのこけし

Kojima_kannon_s44_kao津軽系の小島さんが亡くなってから一週間が経った。私は小島さんとは何回か話をしたくらいで特に親しい関係でもなかったし、こけしも数えるほどしか持っていない。小島さんは、津軽こけし工人組合の組合長として、津軽こけし館と協力し、津軽系こけしの普及に努めて来られた。その活動が実って、昨今の津軽系こけしの人気は高く、こけし工人フェスティバルも大盛況となっている。小島さんの思いは遂げられたと言っても良いであろう。今夜はその小島さん追悼の意味も込めて、手持ちのこけしを紹介したいと思う。口絵写真は小島さんの初期のこけしの表情である。

小島俊幸さんは昭和24年の生まれ、40年4月より佐藤善二の弟子となって木地修業を始めた。こけしは師匠の型を継いだものであったが、「こけし辞典」によれば、43年2月に鹿間氏の依頼で伊太郎型を制作、44年4月より幸兵衛型を制作とある。但し、辞典に写真掲載されている幸兵衛型は、純粋な幸兵衛型ではなく、形態的には師匠善二が作っていた観音こけしと思われる。

Kojima_kannon_s44_hikaku

写真(2)左が、その幸兵衛型。「44.5」の書き込みがあるので、幸兵衛型の初作と言ってもよいであろう。右は阿保六知秀さんの同型のこけし。こちらも「44.5」の書き込みがあるので、同時期のこけしである。同じ型のこけしであっても、胴模様の配色や牡丹模様に違いが見られる。これは、盛秀型を作ることを許されなかった師匠が、独自のこけしを作るよう弟子にも指導したものかも知れない。

善二の弟子の中でも笹森さんはいち早く本格的な幸兵衛型に取り組み、阿保さんも平成に入ってからは民芸店「つどい」の指導により幸兵衛型を作り始め、二人とも各種コンクールで大臣賞を受賞するまでになった。一方、小島さんも幸兵衛型を作ったが、あくまでも自身の幸兵衛型に終始したように思う。そのため、コンクールで大きな賞をとったことは無かったように思う。しかし、自身のこけしを作ること、それが師匠から教えられたこけし作りであり、小島さんの信念だったのかも知れない。

Kojima_kobe_3hon

写真(3)は小島さんの幸兵衛型。左からH11.1月、H12.1月、H5年.6月。達磨模様の幸兵衛型も作っていたと思うが、阿保さんや笹森さんほどは作っていなかったと思う。

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津軽系」カテゴリの記事

コメント

小島さんの初期の作品は、今迄見た事がありませんでした。嬉しいです。ありがとうございます。口絵になっている顔のアップ。とても忘れられないニュアンスの表情ですね。ご本人も来年のお話をしていたとお聞きします。そんな方を失って、改めて悲しいです。

投稿: nina | 2012年12月23日 (日) 08時13分

nina様
小島さんのこけしは最近作の方が円熟味も加えて良い出来だと思いますが、初期の作品には若さとか意気込みだとか清新さが感じられて魅力があります。小島さんのこけしは他の兄弟弟子のように目立つこけしではなかったですが、そこには小島さんの人柄が表れていたように思います。居なくなってその存在感を感じさせる工人でしたね。

投稿: 国恵志堂 | 2012年12月23日 (日) 11時35分

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