第827夜:太治郎から正一へ
戦前の土湯で、その独特な描彩から一世を風靡した太治郎も、昭和15年頃から制作数が少なくなり、17年には殆ど停止状態となってしまい、20年2月13日に亡くなってしまう。一方、太治郎の娘婿になった佐藤正一は昭和5,6年頃から土産物店を始め、太治郎こけしを販売していたが、16年より木地挽きを始め、太治郎型のこけしを作り始めた。
写真(2)は、右から太治郎6寸7分(S16頃)、同8寸(S17.10)、正一8寸(S17初)、同6寸3分(S17.11)である。今回入手したのは、右から2番目と左端のこけし。右から2番目は74歳、「17.10」の書込みもあり、殆どこけし制作を止めたと言われる17年作ということになり、太治郎こけしとしては最晩年にあたるものである。その割には、木地形態もしっかりしており、面描、胴模様にも破たんは見られない。晩年には細く単調になったと言われる紫の波線も太くしっかり描かれている。ただ、こうして4本を並べて見ると、頭は縦長で胴も細く、やや弱い印象を受ける。左2本の正一の紫波線は、右端の太治郎の紫波線をお手本にしたものと思われる。
写真(3)に胴底の書込みを示す。右から2番目は「為書き」があるので本人署名であろうか? 右端はそれとは筆跡が異なるので本人署名ではないかも知れない。左端の正一作にも「為書き」が見られる。
写真(4)に頭部を並べて見た。右の太治郎2本は、眉・目の描線が細く、弱い印象を受ける。一方、左の正一2本は、眉・目の描線に力があり、若々しい感じを受ける。正一の極初期と思われる左から2本目のこけしは、木地形態、胴の細い紫波線、眉・目の下がった面描などから、右端の時期の太治郎こけしをお手本にしたものと思われる。それから暫く経った左端の正一では、目の位置が上がって大きくなると共に、前髪の左右の一番外側の2本が眉毛を超えて目の辺りまで大きく下がって描かれているのが特徴である。
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