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第835夜:盛こけし(鑑定)

Sakari_s1dai_kao関東地方は雨模様の日が続き、梅雨真っ只中という気配であるが、西日本は真夏を思わせる暑い日が続いているようだ。沖縄は早くも梅雨が明けており、日本も広いなぁと感じる今日この頃である。さて、本ブログの更新も久しぶりになってしまった。今夜は、鳴子の高橋盛こけしの製作年代を推定してみたいと思う。対象となるこけしは暫く前にヤフオクで入手したもの。昭和1桁台というところまでは、ほぼ間違いないと思っているのだが…。口絵写真は、その盛こけしの表情。

高橋盛の戦前のこけしは、昭和13年までの「前期鳴子時代」と昭和14年から23年までの「秋田時代」に分けられる。今夜は、この前期鳴子時代を更に詳しく見ていこうというものである。

Sakari_s1dai_2hon

さて、写真(2)を見て頂きたい。戦前の盛こけし(大きさ尺)を2本並べたものである。一見するとほぼ同じように見えるこけしである。左のこけしは戦前ピーク期として第577夜で紹介したもの。昭和8~9年頃と推定している。木地形態は頭は右がやや広めで頭頂部が平たい平頭、左は蕪形であろう。胴は右は中央部がやや凹んで裾部が広がっており、左は中央部はやや膨らみ気味である。材質は右はイタヤで重く、左はミズキで軽めである。肩の部分は右はやや角張り気味であるが、赤いロクロ線は肩の上面から連続的に引かれているが、左ははっきり角ばっており、赤いロクロ線は肩上面と胴最上部が別々に引かれており、肩の角は木地の地色が表れている。

Sakari_s1dai_kao_2hon_2
次に面描を見てみよう。写真(3)は頭部のアップ。先ず、頭頂部の紡錘形の黒髪は、右がやや長いがほぼ同じ形、赤い水引は左右5筆ずつで、これも大きな違いはない。鬢は右は3筆であるが筆跡は明確ではなく、鬢下部は一緒になっている。一方左は4筆で一筆一筆がはっきり区別できる。鬢飾りは共に3筆であるが、右は鬢より上向きになっているが、左は斜め上向きである。目は右の方が眼点が大きく潤んだような瞳になっている。

次に肩の山の部分。山の大きさはほぼ同じであるがロクロ線の配色が異なる。右では肩の上面と接する下部は緑の太線、そこから首にかけて、赤細線3本、赤太線、赤細線3本、緑細線1本となっている。一方左は山の下部から赤太線、赤細線2本、緑やや太線、少し間を開けて緑細線、緑太線、赤細線、赤太線となっている。

次は胴模様、共に上に横菊、下に正面菊を描いている。横菊は右が全花弁が上に向くように描かれ、中央の2本は交差している。対して左の横菊は下部は横を向いたままで、中央の2本も交差するまでには至っていない。正面菊はほぼ同じ。中央の添え葉は、右は葉先が立っているが、左は寝ている。

Sakari_s1dai_3hon
さて、それでは本項のこけしの製作年代を推定してみよう。写真(4)は比較のために昭和1桁台の盛こけしを1本追加してみた。盛の戦前鳴子時代のこけしについては、木形子洞頒布(昭和7年)が1つの転機と思われる。この木形子洞頒布品は頭が平頭で肩が張っているなど、木地については盛雄ではないかとの説もある。それ以前の盛こけし(大寸物)では肩は丸まっており、そこに赤いロクロ線が引かれている。この形態は勘治からの流れでもあるのであろう。それが明確な角肩になり、そこに引かれるロクロ線が肩上部と側面で別れるのは木形子洞頒布からなのである。そしてその形態は、その後の鳴子時代、秋田時代へと引き継がれていく。また、鬢の筆法が1本ずつ分かれるようになるのも木形子洞頒布の頃からであるようだ。

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写真(5)は、3本の上部を斜めから写したもの。右は肩がほぼ丸いもので昭和3、4年頃のもの。左は木形子洞頒布以降で肩は張ってロクロ線も分かれている。真ん中のこけしは木地形態、描彩など右のこけしにほぼ同じ。肩は張ってきたがロクロ線は繋がっていて分かれていない。全体的な雰囲気は右のこけしに近い。従って、昭和5、6年頃のものではないだろうか。右のこけしは黒くなって緑色が殆ど残っていないので、本項のこけしで補うことが出来て有難い。

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