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第848夜:「馬」の署名

Masao_s14_kao今年は梅雨明けが早かったせいか夏が長い気がする。しかも暑い。ようやくお盆も過ぎたのだが、まだ暫くは酷暑が続くようだ。暑さにかまけて本ブログの更新も大分滞ってしまった。ところで、こけし関係の文献を読んでいると疑問に思うことが多々出てくる。それらを明らかにするのも本ブログの役割の1つと考えている。鳴子の岸正男は戦前、自分のこけしの胴底に「馬」と書いて署名の代わりにしたと言う。今回、この「馬」署名の正男こけしを入手したので紹介したいと思う。口絵写真は、その正男こけしの表情である。

岸正男は明治36年の生まれ。明治45年、10歳で万五郎家に入り雑用などを手伝ったという。正式な木地の弟子になったのは大正8年、17歳の時で、この頃にはこけしも作ったらしい。その後は、盆などの大物挽きの専門となった。こけしの復活は昭和13,4年頃で、深沢要、渡辺鴻両氏の勧めによると言う。当初は他人木地(主に秋山忠)への描彩が中心で、戦前作はあまり多く無いようである。第339夜に戦後早い時期の正男こけしを紹介しているが、以来戦前作を探してきて、ようやく手元で見ることができるようになった訳である。

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写真(2)に全体像を示す。右端は同時期の秋山忠(尺)。大きさは尺2寸、堂々たるこけしである。頭頂部が扁平な角張った蕪頭に肩の山の高い太目の胴。胴上下のロクロ線は、外から内に向かって赤、緑、紫の3色で引かれており、胴下部には太い鉋溝が1本掘られている。この胴の様式は秋山忠と全く同じであり、忠木地と思われる。但し、頭の形は忠とはやや違うようだ。忠が正男用に挽いたのであろうか?

正男こけしのもう1つの特徴は、万五郎(金太郎)系列の特徴である「茎の多い菊を描く」ということであるが、これも本稿のこけしで一目瞭然である。胴下部には赤い土が二山描かれ、そこから5本の茎が伸びている。そのうち両側の2本は蕾をつけ、中央の大きな正面菊を挟んで、残る3本の茎は上部に伸び、中央の1本が大きな横菊を咲かせている。その茎には、丸い葉っぱが正面菊を囲むように一面に散らされている。鳴子の他の系列の菊模様とは一味違った何とも心憎い様式である。

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では「馬」の署名を紹介しよう。写真(3)左がそれである。右は秋山忠。胴底の中央に、緑の染料で大きく「馬」と書かれている。他の「馬」署名を見たことがないので何とも言えないが、今までは当然のように黒墨で書かれているものと思っていた。これなども、現物を見て初めて分かることで、やはり現物を見ることの大切さを痛感させられた。

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写真(4)は頭頂部の水引である。左が正男、右が同時期の秋山忠。忠とは明らかに違うし、他に類例を見かけない様式である。これが、万五郎系列の特徴なのであろうか?また、新しい疑問が湧いてきてしまった…。

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