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第858夜:新兵衛こけしの継承者達

Kimiko_syoki_kao先日の友の会入札で、大沼君子のこけしを入手した。君子のこけしは中古品としてはそれほど珍しいものではないが、なかなか気に入ったものに出会わず、手元にあるものも数少ない。今回のこけしは父である新兵衛の俤を良く残しており、君子としては初期のものなのであろう。今夜は、その君子のこけしと共に新兵衛こけしを継承している工人のこけしを並べて比べてみようと思う。口絵写真は、その君子こけしの表情である。

大沼君子は大正4年、鳴子の生まれ。大沼新兵衛の長女である。昭和32年に新兵衛が72歳で没してから、こけしの描彩を始めた。木地は自身では挽かず別人であり、木地の形により、こけしの雰囲気はやや異なる。

Kimiko_syoki_hikaku
写真(2)に新兵衛こけしとその継承者達のこけしを並べてみた。左から新兵衛62歳(昭和22年、7寸)、同68歳(昭和27年、8寸)、君子(昭和33年頃、6寸)、同(平成元年、5寸)、土谷幸作(昭和58年、7寸)、山口収一(平成7年、5寸8分)。新兵衛が亡くなったのが昭和32年10月なので、君子のこけしはそれ以降であり、「こけし辞典」には33年10月作が載っている。32年作があるのかどうかは分からない。新兵衛こけしの胴模様は菱菊が中心で、上部の横菊は中央の花弁が長く立っているのが特徴であるが、君子、幸作、収一と伝わるに従って目立たなくなってくる。また下部の正面菊は下向き中央の花弁が向かって左に流れるように描かれのだが、これも君子は踏襲しているものの、幸作、収一では真っ直ぐ下に伸びており、一般的な菱菊模様になっている。

Kimiko_kao_hikaku
写真(3)に写真(2)の各こけしの顔のみ並べて見た。新兵衛のこけしと言うと「一筆目」が有名になっているが、写真(3)を見ると「一筆目」ではなく「一側目」であることが分かると思う。晩年の新兵衛作としては31年作が「愛こけし」に載っており、これは写真で見る限り一筆目になっているようだ。君子は最晩年の新兵衛こけしを手本にして描彩を始めたものと思われ、最初から一筆目である。

なお、土谷幸作は新兵衛が山形県楯岡で働いていた時期(昭和23,4年)の弟子で、山口収一は土谷幸作の弟子である。幸作も収一も「一筆目」のこけしであり、新兵衛こけしと言えば一筆目が定着していたのが覗える。

Kimiko_atama_hikaku
写真(4)は頭頂部を見たところ。前髪後部の山形とそこから後ろに束ねた2本の後髪に注目して頂きたい。左端の新兵衛では山形が大きくこんもりと盛り上がっており、そこからほぼ同じ大きさの後髪2本が紡錘形に交差している。2番目になると山形はやや小振りとなり、2本の後髪は向かって左側の1本が小さくなる。3本目の君子は2本目と同様な様式であるが、4本目の君子では山形が更に小さくなり、後髪も左の1本が丸まって一段と小さくなり1本のように見える。幸作では山形が微かに残っているが、収一になると山形は完全に消えてしまった。同じ新兵衛型を継承していても時代と共に、また作る工人によって変化していくものであり、新兵衛の俤は一筆目に残るのみとなってしまった。その継承者である大正生まれの君子、幸作、収一は既にこけしを作っておらず、現在では幸作の弟子の海老名一郎が作るのみである。

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コメント

大沼新兵衛のこけしはなかなかいいと思いますね。自分的には鳴子では岩蔵の次ぐらいに好きなのですが、この手のこけしは今時の愛好家にはあまりうけないのかなぁと思いますがね。

投稿: 益子 高 | 2013年9月25日 (水) 21時45分

益子 高様
お久しぶりです。
そうですね。新兵衛こけしは静かなこけしですから、今時のポップなこけしの愛好者には物足りないのかも知れませんね。本当にこけしらしいこけしなのですが…。

投稿: 国恵志堂 | 2013年9月26日 (木) 21時59分

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