第852夜:久太郎追求
ある特定の工人の作を年代順に集めるのは楽しいことである。特に製作歴が長く、作風の変化がある工人の場合は尚更である。そうような集め方では、その工人の地点、地点の代表作は是非揃えたいものである。そんな工人の一人に木地山系の小椋久太郎が居る。久太郎は大正時代から製作を始め、平成10年91歳で亡くなるまで果断なくこけしを作り続けた。私が久太郎こけしを本格的に集めはじめたのは、ここ5年ほどである。その間のことは第244夜以降、本ブログでも度々紹介してきた。久太郎こけしとしての最終目標は久四郎模索時代の作であったが、なかなか出会うことがなかった。先週のヤフオクで、ようやくそれと思しき作を入手することが出来た紹介したい。口絵写真は、そのこけしの表情である。
写真(2)がその久太郎こけしである。大きさは8寸。胴底には「木地山 小椋久太郎」と言う書込みと「こけし精舎」のラベルが貼ってあり、綾秀郎氏の旧蔵品であろうか。らっきょう形の頭にすらりとした胴。前髪と繋がった鬢は大きく長く、目・鼻は顔の中央部に集まっており、円らな瞳が無心にこちらを見つめている。強い視線では無いが惹きつけれるような目力がある。胴の縞模様は一気に描かれ、中央部の赤い横線が太く滲んで強烈な印象を与える。胴下部の梅鉢模様も大きくさらさらと自然体で描かれている。文献で、久四郎模索時代の久太郎こけしを探してみたが、意外と該当するものが少ない。「原郷のこけし群(第一集)」の59番の久太郎がほぼ同様の作と思われる。制作年代は記載されていないが、昭和8年前後と思われる。
写真(3)に、これまで集めた久太郎こけしを並べて見た。右端が本項のこけし、真ん中4本が「だんご梅」の久太郎各種(右から左へ新しくなる)、そして左端が昭和34年の久四郎復元作。ちょうど両端が久四郎に近い作風ということになる。しかし、あまり意識せずに作った右端と、復元という形で意識的に作った左端のこけしとでは、しかも戦前と戦後という時代背景の激変があれば、作られるこけしが醸し出す雰囲気に違いがあるのは当然のことなのであろう。
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