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第866夜:後藤善松のこけし

Zenmatu_senzen_kaoここ2回ほど初出の工人のこけしを紹介してきた。今夜もその続きで、鳴子系の後藤善松のこけしである。善松のこけしはこれまで時々見かけてきたが、なかなか状態の良いものに出会わず入手する機会がなかった。今夜の善松は退色が全くなく保存状態が良いのと価格が手頃だったので入手したものである。口絵写真は、その表情である。

後藤善松は大正5年、鳴子の生まれ。昭和7年(17歳)に岡崎斉の弟子となり木地修業を始めた。昭和12年に独立し、北海道を始め各所を転々とするが、15年正月より鳴子に戻って開業した。こけしは独立当初から作っているが斉こけしを継承している訳では無く、見取りで高橋盛や大沼竹雄の影響を受けている。戦後は豆こけし以外には殆ど作っていないという。昭和37年5月10日逝去した。享年49歳。

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写真(2)左が本項のこけしで大きさは1尺1寸8分。右は独立当初のこけしで「らっこコレクション図譜」より転載。比べて見ると両者(特に面描)にはかなりの変化が見られ、本稿のこけしは昭和10年代後半か、あるいは戦後の作かも知れない。こけし出来としては右の方が断然良い。肩の山部と胴上下の太いピンク色のロクロ線は何とも豪快。表情も良い。

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写真(3)は、本項のこけしを3方向から写したもの。胴模様に大輪の横菊と正面菊を配するのは盛の胴模様を模したものであろう。更に、胴裾部には、向かって右には小さい正面菊をまた左には蕾を描き添えている。大寸ものの胴に小さな花を添えるのは、戦前の鳴子こけしには良く見られることである。初期の作に比べると、前髪の後部の膨らみが極端に大きくなり、また横鬢と鬢飾りも大きく華麗になり、その分顔の面積が小さくなって、ちまちまとした表情になっている。眼点大きく、愛らしいこけしではあるが、装飾華美という感もしないではない。しかし、それが善松の特徴であり、また持ち味でもあろう。このような善松こけしも後継者がなくなってしまったのは誠に残念なことである。

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コメント

同じ時期の短期間に大きく作風が変わったという点では希三さんと共通してる感じがしますね。

投稿: しょ〜じ | 2013年10月20日 (日) 00時58分

しょ〜じ様
昭和10年代前半には多くの工人が復活しましたが、それらの工人達は当初は素朴・稚拙な作風だったのが2,3年もすると華麗な作風に変わってしまったようです。戦前のこけしブームの影響なのでしょうか。それでも今見ると郷愁を覚えるのは、やはりこけしの持つ時代の香なのでしょうね。

投稿: 国恵志堂 | 2013年10月22日 (火) 09時49分

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