第872夜:昭三のこけし
小林昭三は小林善作の三男であるが、「こけし辞典」でも小林善作の項に『二男信行や三男昭三は善作から描彩の手ほどきを受け、若干こけしを作っている。・・・。後継者に三男昭三等がいるが、他に仕事を持っているので、本格的に就業するに至らない。』とあるだけである。昭和30年代に発行された「こけしガイド」や40年代から50年代に発行された「伝統こけしガイド」「伝統こけしポケットガイド」「伝統こけしハンドブック」には記載がない。わずかに50年発行の「伝統こけし工人手帳」に名前が見えるのみである。一方、平成15年発行の「伝統こけし最新工人録」には記載されており、それによると、「昭和17年3月1日生、小林善作の三男、昭和40年より木地修行を行った。平成15年よりこけしを製作している。」とある。
写真(2)が本項の昭三のこけし。大きさは6寸2分。「43.1.15」という本人署名がある。昭三がこけしを作り始めて間もない頃の作品と思われる。縦長の四角い頭、胸部がやや細まった太目の胴。眉目は左右に大きく離れ、視線は前方やや上方を向いている。鼻は小さく、口は小さな三日月状で中に赤点を打っている。鬢が細く上方に寄っているので下膨れの表情になっている。おおらかで、のほほんとして、何とものどかなこけしである。昭和39年の東京オリンピックを期に日本全体が急速に近代化していき、こけしにもその影響が表れて、30年代までのこけしと40年代以降のこけしとでは大きな違いが見られる中、肘折の血を引く湯田では、まだこのような郷愁をそそるこけしが作られていたのである。今では決して作ることが出来ないであろうこのようなこけしに出会えるのは実に楽しいことである。
参考のための「東北のこけし」の写真を借用した。昭三のこけしとしては、昭和56年と63年のものが載っているが、既に愛らしい綺麗なこけしになっており、湯田の風土性は感じられない。右端は善作の42年作となっており、本項の昭三とほぼ同じ時期のもの。似た雰囲気のこけしであり、昭三が参考にしたことが覗える。しかし、善作は目が中央に寄って整っており、昭三ほどの破調は感じられない。
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