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第879夜:鳴子こけし行脚(1)

1311naruko_annaiban17日(日)から昨20日(水)まで、鳴子の温泉ツアーに参加してきた。鳴子温泉に3泊するツアーで鳴子では自由行動。交通費と3泊6食付で44,800円。二人以上での参加なら一人34,800円となるからリーズナブルなツアーである。但し、1日目は昼過ぎの出発で宿到着は17時。また4日目は10時に宿出発なので、3泊しても行動できるのは、2日目、3日目の2日間だけということになる。口絵写真は鳴子温泉駅の案内板。

17日、12:08発の東北新幹線「やまびこ137号」で出発。参加者は37名ということで盛況なツアーである。14:16仙台着、宿(幸雲閣)の送迎バスに乗る。交通費節約のためなのだろう。途中、道の駅でのトイレ休憩を含めて2時間弱で宿に着いた。

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写真(2)は宿である幸雲閣と送迎バス。幸雲閣は鳴子温泉駅から仙台方向に徒歩15分ほどのところ。

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写真(3)は部屋。コンパクトであるが清潔で必要なものは全て揃っており、居心地が良い。浴衣やタオル、歯ブラシなどは毎日新しいものと替えてくれた。

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写真(4)は第一日目の夕食。お造り(3種盛)、魚介の寄せ鍋、肉の陶板焼き、野菜の煮物、卵とじ、・・・など十分な品数と量であった。食事の内容は毎日変わるので飽きることはないだろう。風呂は露天風呂付きの大浴場(掃除の1時間を除いて24時間可)が1つだが、隣の別館の大浴場も使えるとのこと。

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写真(5)は二日目の朝食会場。バイキング方式であり、メニューは毎日殆ど変らないようだ。

朝風呂を浴び、朝食を済ませてから、いよいよこけし行脚1日目の始まりである。先ずは大沼秀雄さん宅へ。友の会創立60周年記念祝賀会への参加のお礼を言う。秀雄さん、この11月に秋の叙勲を受け、奥さんと一緒に皇居まで行ってきたのだと言う。「瑞宝単光賞(消防功労)」、長年の消防団活動の功績が認められての受賞であり、地元の新聞にも大きく記事が載っていた。秀顕さんは月末からの人形の家でのこけし展で大忙しとのこと。

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写真(6)は、秀雄さん宅斜め向かいの「高勘」の跡地。鳴子の老舗もとうとう痕跡を残すのみとなってしまった。結構な斜面に建っていたことが分かる。

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次いで、菅原和平さん宅へ。写真(7)がお土産屋さんも兼ねている立派な自宅兼工房。奥さんが美味しいコーヒーを入れて下さった。

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写真(8)、菅原和平さん。60周年行事では、深澤コレクションの借用や記念祝賀会への出席など大変お世話になった。お礼を言う。和平さんは自分のこけし以外に鈴木庸吉型のこけしも作っている。今回は持参した庸吉こけしの写し製作もお願いして来た。

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写真(9)は和平さんが現在作っている庸吉型。深澤コレクションの庸吉を元にしているようだ。

鳴子峡、川沿いの遊歩道は大震災以来の復興工事中で通行止め。そのまま駅前まで戻って、山菜そばの昼食を摂り、福寿の店で福寿さんの13回忌の焼香をして奥さんと暫く昔話。正吾さん宅に電話するが不在なので、近くの吉田勝範さんを訪問。ちょうど別のお客さんも来て、その方が話好きで延々2時間ほど歓談。勝範さんは忙しいだろうに、厭な顔一つせずに対応して頂いた。18時から宿の夕食なので、正吾さんに電話をすると帰宅されていた。急いで正吾さん宅へ。結局、勝範さんの写真を撮り忘れてしまった。

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写真(10)は高橋正吾さん。今日は病院に行っていたのだと言う。持参した武蔵古作を前に昔話を聞く。正吾さんにも武蔵の写しをお願いし、タクシーを呼んで貰って急いで宿へ戻る。予定していた熊谷正さんが不在だったが、1日たっぷりこけしと工人さんに浸ってきた。

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写真(11)(12)は2日目の夕食とおしながき。

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コメント

鳴子は一昨年の夏と15年前の夏と2回行っていますが、最初の旅行の夜に高勘の店と桜井さんの店に寄った思い出があります。但し、こけしを購入したのは桜井さんの店での昭二さんの岩蔵型のみで、高勘の店では高橋盛雄さんのこけしを購入しようとしたのですが、店の人に「盛雄はもう作っていない」と言われたので、結局何も買わずに店を出ました(店の棚に陳列していたのは、全て敏文さんのこけしでした)。その後程なくして敏文さんが亡くなったと聞いて「ああ、あの時買っておけば良かった」と後悔した記憶が残りました。そして一昨年行ってきた時には15年前に比べて工人さんの店がかなり少なくなっていた様で、改めてこの世界の現状の厳しさを垣間見た思いがしました。

投稿: 益子 高 | 2013年11月21日 (木) 19時42分

益子高様
「高勘」では平成12年に後継者の敏文さんが亡くなって、それから半年もしない内に盛雄さんも亡くなって一気に当主が居なくなってしまいました。その後、家族の方も仙台に引っ越してしまい、暫くは空き家になっていましたが、その家もとうとう無くなってしまいました。昭和40年代から50年代にはあれほど沢山居た工人さんも高齢化と転業などでどんどん少なくなり、10年先を思うと寂しい気がします。もっともその頃には私自身が居ないかも知れませんが…。

投稿: 国恵志堂 | 2013年11月22日 (金) 09時48分

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