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第890夜:阿部4代(阿部金一)

Kin1_s17_kaoこけしは親子、子弟関係で引き継がれていくものであり、その伝承のこけしを集めるのも楽しいものである。とは言え、現存していてその素性がはっきりしているこけしは明治以降のものであり、その伝承を遡るのにも限度がある。親子関係での伝承では湊屋の佐久間浅之助-由吉-芳衛-芳雄-俊雄の5代が最長と言えるのではないか。しかし浅之助こけしは十数本しか知られておらず、これを集めるのは至難の業であろう。その次と言うと4代ということになるが、その1つに阿部一家がある。阿部治助-金一・シナ-敏道-国敏である。今回、金一のこけしを入手したことにより、この4代が集まったことになる。口絵写真は金一の表情である。

阿部金一は大正8年7月11日、土湯の生まれ。阿部治助の長男である。小学校卒業後の昭和9年に父治助について木地修業。こけしは昭和13年頃より作り始めたらしい。現存こけしは14年以降のものと思われる。昭和20年1月24日に病没しているため、残るこけしは少ない。金一の14年頃のこけしは治助を写したものであったが、15年頃からは目が二側目となり、治助とは趣の異なる溌剌とした明るい表情のこけしとなった。

Kin1_s17_3men
写真(2)が本項の金一こけし。大きさは8寸6分、胴底に「17.11」の書込みがあり、昭和17年11月入手と思われる。15年頃からの金一独自の表情の延長線上のこけしと思われるが、目は一側目となっており、ちょっとおどけた表情にも見える。胴中央下部の赤の波線が大きく密になっているのが印象的である。

Kin1_s17_hikaku
写真(3)は阿部一家4代のこけし。左から、治助、金一、シナ、敏道、国敏のこけしである。

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コメント

阿部 勝英は何処の位置にはいるのですか?

投稿: こけしフアン | 2013年12月14日 (土) 17時33分

こけしフアン様
勝英は、シナが金一が早逝したため再婚した夫で、敏英という息子がいます。従って、治助-シナ・勝英-敏英という流れもあります。

投稿: 国恵志堂 | 2013年12月16日 (月) 18時06分

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