第919夜:橘コレクションのこけし(樋渡治一)
樋渡治一は、明治39年、川連久保の生まれ。大正8年川連小学校卒業後、高橋兵治郎の弟子となって木地修業を始めた。治一は描彩を行わないため、昭和7年、弟の大類連次が描彩して治一名義のこけしを作った。翌8年から連次が不在となったため、樋渡辰治郎が描彩を行ったとされる。治一は昭和13年で製作を中止し、以後作らず43年3月27日に63歳で亡くなった。
写真(2)が本項のこけしで、大きさは8寸6分。「こけしと作者」の第六十八図(166頁)の左端に掲載されているこけしの現品である。その解説を引用しよう。『樋渡治一は30余の青年木地師であるが彩色が出来ない。時によると、とてつもないこけしを送って来る。これも木地山系造付けを作るが頭が平たく、胴のロクロ模様が、赤と黒の太いダンダラで力強い感じを出しているのは珍とするに足る。私の愛蔵しているこけしは昭和7年の作で、頭の形と二重瞼の出来が殊にいい、私の家族はこれにラグビーこけしの別名を付けている。』 この記述から、「ラグビーこけし」の名称が付いたのであろう。また、本項のこけしが橘氏愛蔵の昭和7年のものと思っていたが、他の文献を見ると、この手の治一こけしは昭和10年となっているものが多い。
治一こけしは文献でもあまり解説されていないが、鹿間時夫氏の「こけし鑑賞」と「木の花(第弐拾八号)」の宮藤就二の『雑系こけしの魅力(7)…樋渡治一』に詳しい。それらによると、治一のこけしは木地形態・描彩の違いから3タイプに分かれるようだ。描彩面から見れば、連次描彩と辰治郎描彩。本項のこけしは辰治郎描彩で、比較的良く見られる型のようだ。前髪、鬢、ツン毛は太く短く、ぼってりと描かれている。眉と二重の上瞼の下側は太く描かれ、上瞼の上側と下瞼は細く描かれている。丸い眼点は大きめであるが茫洋とした表情である。特徴の1つである胴の太いロクロ線は、文献では赤と黒の2色のように書かれているが、胴下部の下から2番目はその上下の赤色とは明らかに色調が異なり、紫色であろう。胴最上部のロクロ線も赤のように見えるが紫かも知れない。単調なロクロ線ではあるが、上部の3本は赤(紫)、黒、赤をくっつけて描いているのに対し、下部の4本は黒、赤、紫、赤を間を開けて描いており、変化を与えている。
写真(3)は治一こけしの頭頂部と橘コレクションのラベルである。本項のこけしが作られた昭和10年頃は治一が最もこけしを作った時期で、形も安定し、描彩も手慣れてものになったと思われる。
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