第941夜:橘コレクションのこけし(小関幸雄)
先ず、小関幸雄の略歴を「こけし辞典」でおさらいしておこう。大正2年、米沢市上郷町竹井の生まれ。昭和12年から14年まで、新山福太郎の弟子となり、冬のみ弥治郎で修業をした。その後、竹井の自宅で独立・開業、戦前は昭和18年頃まで、こけしも作った。昭和12年から14年までの弥治郎時代のこけしは、弥治郎系こけしには珍しい角頭、細胴の異色ある作品である。・・・。昭和14年刊の「こけしと作者」にはじめて写真紹介され、「大体福太郎のこけしに似ているが、表情のトボケたところからみて、特異な素質を持った作者であることが解る。・・・」と書かれている、とある。
写真(2)が本項のこけし。大きさは9寸4分。前述の「こけし辞典」の解説から、このこけしは弥治郎時代のこけしと思っていたが、「山形のこけし」の小関幸雄の項を読むと、そうではないらしい。「山形のこけし」の解説を要約する。
『幸雄のこけしは前述のように、修業の過程から、弥治郎新山家の伝統をひくものである。昭和12年冬、13年冬、14年冬の三年にわたって作られたものが弥治郎時代の作品である。・・・(略)・・・。昭和14年3月31日、竹井に戻って来た幸雄は自宅の轆轤で本格的に営業を始める。弥治郎とまったく同じに作ってはということで、細胴を作るのがこの時期である。頭をやや角ばらせて、胴を直胴にしたのである。胴模様も襟とすそ模様のほかに、福太郎も描いていた重菊も加え、バラエティに富んだ作品が生まれた。取集界ではこの時期のものを「ステッキ」などと呼んでおり、文献によってはこれを弥治郎時代初期としているものもあるが、間違いである』と。
この解説に従えば、本項のこけしは昭和14年4月から8月(「こけしと作者」発行)までの間に作られたものということになる。戦前の小関のこけしは弥治郎時代と竹井時代に分けられ、本項のこけしは竹井時代初期ということになる。
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