第955夜:善松?or幸助?
さて、先ずは手持ちの善松のこけしと比較してみよう。写真(2)の左が善松(6寸)で、右が本項のこけし(6寸8分)である。並べて見ると、木地形態、描彩に相当の開きがあり、同一工人の作とするには疑問が多い。善松は斎の弟子であるが、こけしの伝承は無く、独立後に見取で描彩を始め、高橋盛や大沼竹雄の影響が大きいと言われる。
今一度、右のこけしを見てみよう。写真(3)が全体像である。胴は細身で殆どまっすぐであるが、裾部でかなり広がっている。頭も縦長で細身である。胴上下のロクロ線は赤と緑で、間に黄色が塗られていたようである。肩上面にも赤のロクロ線が引かれている。胴模様は大きな正面菊を2輪描いている。緑色は残念ながら消失してしまっている。
写真(4)は頭頂部の描彩と、胴底のラベルである。頭頂部の水引は前髪の後ろから右5筆、左4筆で放射状に描かれている。バッサリ描かれた前髪、3筆の大きめな鬢、引き締まった眉目は凛々しく、格調の高い表情である。この辺りの特徴は前髪を除いて、盛にも竹雄にも見られるものである。但し、ラベルの日付を信じるなら、善松の修業末期から独立当初の作となり、「こけし加々美」に掲載されている12年作の善松とは明らかに異なる。どうやら、このこけしは善松ではないらしいと思えてきた。
やはり「高勘」系かな?などと考えながら、このこけしを眺めていると、どこかで見たような気がしてきたのである。そうして思い出したのである。「木の花」に載っていた子野日幸助の戦前のこけしではないかと・・・。「木の花(弐拾弐号)」の写真を借用して、比べてみよう。
写真(5)の左が「木の花」掲載の子野日幸助、右が本項のこけし。大きさは、20.5cmで「こけし辞典」掲載の大きさと全く同じである。先ずは裾部が広がった特異な胴の形態が決め手の1つとなろうか。肩の山の高さが本項のこけしの方がやや低い感じがする。面描は殆ど同じ、胴の正面菊の花弁数が本項のこけしの方が多く、全く同じ時期に作ったものではないようだ。
子野日幸助は大正7年の生まれ、昭和17年10月より秋田の工芸指導所に入り、高橋盛より木地挽きの指導を受けた。18年3月より本荘の由利木工所に移り、5か月務めた後、横手に帰り独立開業した。前期「木の花」掲載の幸助のこけしは、この秋田時代の作で、中屋惣舜氏の所蔵であったが、橋本正明氏が昭和42年の7月に箕輪新一氏とともに横手の子野日幸助を訪ね、本人に確認したものである。その辺りの話は、こけし手帖87号に「子野日幸助 -盛の弟子とその周辺(その2)」として掲載されている。
しかし、本項のこけしが子野日幸助のこけしだとすると、その製作年代は昭和17年から18年頃。一方で、このこけしに貼られたラベルの日付は昭和12年。この年数の差は何を意味するのであろうか…。
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