第957夜:北岡のこけしたち(2)
今夜も橘コレクションのこけしである。橘コレクションのこけしには胴底に「KOGESHIDO」のラベルの貼ってあるものと貼っていないものがあり、ラベルのあるものでも日付の入っている
ものと無いものがある。また戦後20年代のものには毛筆で日付を書き込んであるものもある。橘氏は戦前と戦後、数回東北にこけし収集の旅に出かけており、それと関係しているのかも知れない。さて、今回のこけしは、今では佐藤(朝倉)英次のこけしと判明しているものであるが、ラベルには「佐藤秀一」と書かれている。これも北岡商店のこけしと思われ、当時は正吉、英次の他、佐藤秀一も間違えられていたのであろう。口絵写真は、英次こけしの表情である。
写真(2)(3)が本項のこけしの全体像である。大きさは5寸8分。胴底のラベルには「1937・? 6年程前」との記載がある。橘著「こけしざんまい」の『遠刈田新地木地屋関係年代記』には昭和12年(1937)の項に、「橘文策二週間の予定で東北各地を廻り、帰途遠刈田新地を訪れる。秀一を新作者と認める」とある。本項のこけしは、この時の旅で、「秀一が6年程前に作ったこけし」として入手したものかも知れない。6年程前と言えば昭和6年頃で、秀一が北岡商店にこけしを卸し始めた頃にあたる。
佐藤英次は大正時代よりこけしを作っており、戦前のものは縦長の角頭で一側目の素朴なこけしが知られているが、本項のような二側目のこけしも散見される。第64夜で紹介した友の会の入札品にも見られた。目尻の下がったものが多いが、本項のこけしは下瞼が水平で気品があり、それが入手した理由でもある。同時期の正吉のこけし(第956夜参照)と比べると、前髪の横から始まる鬢飾りが(前方から見ると)立っていること、また重ね菊の左右の花弁も上に行くほど立っている点が、いずれも水平に描かれる正吉との目立った違いであろうか。その他は概ね、正吉のこけしと良く似た描彩である。
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