第988夜:二代目虎吉のこけし
正月の2日、3日は毎年恒例の箱根駅伝見物(自宅でだが)に終始した。数年前から密かに注目していた青山学院大が、まさかの驚異的な記録で初優勝するとは思いもよらなかった。駒沢、東洋、明治、早稲田などの実績のある伝統校を破っての勝利は画期的であった。何より、各区のメンバーに悲壮感が微塵も感じられず、明るく楽しく走っていたことに、箱根駅伝の新しい時代の幕開けを感じた。新・山の神を擁し、今回の優勝メンバーの内8人が残る来年は大本命となるだろう。もちろん、他の大学も翌日から打倒青学に燃えるであろうし、来年の箱根駅伝が今から楽しみである。さて、前置きが長くなったが、今夜は二代目虎吉のこけしを見てみたいと思う。口絵写真は、初代虎吉の初期の作の復元作の表情である。
第二次こけしブームの最盛期(昭和40年代の後半から50年代の前半頃)、二代目虎吉のこけしはデパート等で開催されるこけしの展示・即売会では目玉商品であり、先着順や抽選で極少数が販売されていた。1尺で1万2000円程度であった。国恵も当時2,3本入手した覚えがある。こけしそのものの良さよりも希少性で入手した感があり、愛着もあまり無かったので、その後手放してしまった。
二代目虎吉(佐久間義雄)は大正3年、川俣町の生まれ。佐久間虎吉(初代)の長男である。昭和4年16歳の時から父虎吉について木地修業。昭和21,2年頃より初代の木地を挽き、34年からこけし製作も始める。当初(昭和38年まで)は本名の「義雄」名義でこけしを作っていたが、この時期のこけしは100本前後と言われている。その後、二代目虎吉署名となるが、戦後の初代のこけしを継いだものであまり特色がなかった。昭和44年、「たつみ」の依頼で初代の復元作を作ってからは、「たつみ」のメンバーとして初代作以外にも由吉型や浅之助型も継承して優れた作品を作った。昭和60年9月10日没、72歳。
本作は大きさ1尺。初代虎吉の現存する作では初期の昭和13年頃の作の復元作である。初代作は「こけし辞典」の虎吉の項に写真紹介されているように、頭は丸く大きく、胴は三角胴で、胴のロクロ模様が太いのが特徴である。胴のロクロ線は、赤と緑、赤と紫の2種類があるようだ。本作は紫ロクロで、木地は桜材を使っているため、しっとりとした感触である。木地形態、描彩とも初代の特徴を良く捉えた秀作である。「たつみ」の依頼品かも知れない。
一時期人気のあった二代目虎吉のこけしも最近はそれほどでもなく、友の会の入札や抽選品にもしばしば登場している。本作と同様のこけしも昨年4月の例会入札に出品されていた。
こちらは、潰し目の浅之助型(左:第8夜参照)と虎吉型。初代虎吉のこけしにこのような潰し目があるかどうか分からないが、初代がもし描いたら、このようなこけしになるだろうということで作ったものなのかも知れない。
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コメント
以前にも書きましたが、僕は小学生時代だった昭和50年代(つまり第2次ブーム最晩期)からこけしが好きだったのですが、年齢的(つまり経済的)にも、地理的(北関東の片田舎)にもこけしを入手できる環境ではありませんでしたので、当時のデパートの即売会においての熱気は知る由もありません。だから、文中の抽選で一尺12,000円という当時にしてはかなり高め(?)という値段には正直言って、凄いなぁ!と思いました(当事者にとっては、それだけの価値があるものと踏んでいたのでしょうけど)。それで、思ったのですが、2代目は地元のお土産屋さん等にもこけしを卸していたのでしょうが、やはり、デパート同様高値で売っていたのでしょうかね?。興味深いですね。因みに自分的に見ると、昭和十年代の古作品なら兎も角、いくら老工の作とはいえ、新品の作品に当時の金で万単位のお金を払うのには、ちょっぴり抵抗を感じますね(尤も、当時古品は十万単位以上の価格で取引されていたとも聞きますし・・)。まぁ、これも当時の事情もわからない人間の戯れ言でしょうけど・・。
長々駄文失礼しました。
投稿: 益子 高 | 2015年1月 5日 (月) 21時17分
益子高様
第8夜で書いた「たつみ」での価格(昭和47年)は8寸で2500円(これでも当時は高いと思いましたが)。それが53年には、仙台屋(仙台)でも、東京のデパートでも1尺で13000円になっていました。まさにブームの最盛期で、こけし価格の高騰は天井知らずでした。鉄則も1尺で10000円を超えていました。盛秀が1寸1万円なんて言われた時代です。63年に東京のデパートで鹿間時夫氏所蔵のこけしの入札と即売があり、そこには33年の弘道8寸が5万円の即売で出ていました。憧れの弘道でしたから欲しかったですが、安サラリーマンでは諦めるより仕方なかったですね。その時の光景は今でも鮮明に覚えています(笑)。
投稿: 国恵 | 2015年1月 5日 (月) 22時07分
いくら初期の良品で鹿間さん所蔵のものとはいえ、弘道で5万ですか・・。ブーム期の加熱ぶりは凄いものがあったのですね。63年頃は既に社会人になっていて、東京に定期的に遊びに行く様にはなっていましたが、当時はこけしといえば東北旅行の土産で買う程度の認識しかなくひやねさん等都内の業者の情報も知りませんでした。後年ふとした事で古品に興味を持ち、業者さんの情報も掴むことが出来た時には既にブームは去り、古品でもモノによっては一万前後で手に入れる事が出来る様な状況になっていました。僕のような安月給のサラリーマンにとっては、今のような状態の方が買い物しやすいですが、やはりこけし界全体の隆盛の為にはブームが続いた方が良いのでしょうね。
投稿: 益子 高 | 2015年1月 6日 (火) 23時50分
益子高様
第2次こけしブームは異常でしたね。こけしであればどんなものでも売れた訳ですから。こけしだけで子供を育てることが出来たと工人も言っていました。だから工人も増えて、一方では粗製乱造的なものもありましたね。そういうものが今大量に出てきて、ヤフオクでもこけしバーゲンになってしまった(笑)。でも中には良い物も混ざっていますから、安価に良いものを手にできるチャンスでもありますね。今の若い蒐集家は良いなあと思いますよ。一方で、工人の減少は深刻な問題になってきています。これは我々、蒐集家や愛好家だけではどうにもならない問題です。先ずは若い工人を応援することが大切ですね。もちろん老工もです。
投稿: 国恵 | 2015年1月 8日 (木) 19時59分
僕が戦前のこけし、所謂「古品」の存在を知ったのは、高校生の時に通っていた高校の図書館にあった立風書房刊の「こけし・伝統の美・みちのくの旅」という本(当然知っているとは思いますが)の中に載っていた高橋勘治や岡崎栄治郎の明治期の作品等を見たときでした。それまでこけしといえば東北旅行のお土産で買ってくるものとか観光地で売っている新型しか知らなかったので、今まで見たこけしとは一風違う古雅な風格のある姿に魅せられてしまい「いつか古品を手に入れたい」と思ったものでした。けれども、その本にも別の文献にも「非常に高い」という風な書き方が書かれていて、それではとてもとても手が届かないかなと諦めていました。
前にも書きましたが、その後古品を手に入れる機会が出来、数万とやや高いと思いましたがなんとか手に入れることが出来、その後ヤフオクでは数千円でも買える事が出来るようになりました(ただ、最近は専ら古品ばっかり買っていて、昨年なんかは新作は全然買いませんでした。その事を考えると現存工人達の現状の件は耳が痛いです)。それもブームが去った後だからこそ可能になったのであって、やはり「第2次・・」の頃までは安くて十万単位ということだったのでしょうね。
投稿: 益子 高 | 2015年1月 8日 (木) 21時42分