★小林清次郎さん、会田栄治さん逝去さる!
山形系の重鎮である小林清次郎さんと同じく山形系で山形県こけし会の会長を永く勤められた会田栄治さんが、3/11に相次いで亡くなられた。清次郎さんはここ数年病気療養中とのことであったが、会田栄治さんとは昨年10月のみちのくこけしまつりでお会いしたばかり。体調は万全ではないとのことであったが会長として精力的に活動されていた。山形県こけし会のみならず、戦後のこけし界を牽引してこられたお二人を失ったことは大きな痛手であり、今はただご冥福を祈るばかりである。
山形系の重鎮である小林清次郎さんと同じく山形系で山形県こけし会の会長を永く勤められた会田栄治さんが、3/11に相次いで亡くなられた。清次郎さんはここ数年病気療養中とのことであったが、会田栄治さんとは昨年10月のみちのくこけしまつりでお会いしたばかり。体調は万全ではないとのことであったが会長として精力的に活動されていた。山形県こけし会のみならず、戦後のこけし界を牽引してこられたお二人を失ったことは大きな痛手であり、今はただご冥福を祈るばかりである。
新春のこけしイベントの第1弾として、「日本の手仕事展」が横浜高島屋で昨7日より開催され、そこに蔵王系の梅木直美さんが出展しているとのことなので、今日午後出掛けて来た。会場は青森の観光と物産展と併催されており、そちらに来た客も沢山訪れていた。直美さんのコーナーは物産展の直ぐ横で分かり易い。しかし冬場の乾燥のため、残念なことに尺3寸の大物ほか何点かが割れてしまったとのこと。今回の出展では売り上げの3割以上もデパートに支払わなければならず、その分価格が高くなってしまったそうだ。会場には、各種のこけしやえじこの他、達磨やこけし雛、こけしグッズなど多彩な作品が揃っており、新春らしい華やかさに溢れていた。11日の日曜日まで開催しているので、ぜひ訪れることをお勧めする。なお、直美さん自挽きの作品はもう少し先になるとのこと。口絵写真は、華麗な姫だるまの群像。
今年も師走に入った。本ブログも千夜一夜到達を目前にして足踏みしてしまい、本年中の達成は難しくなった。まあ、そういうことはあまり意識しないで進めていこう。11月はこけしのイベント紹介だけで終わってしまい、久しぶりのこけしの紹介である。今夜紹介するのは先日ヤフオクで入手した荒井金七の小寸こけしである。昭和8年の木形子洞(橘)頒布品という素性の良さに加えて全く退色していない保存の良さ、しかも抜群の出来の良さという三拍子揃ったこけしなのに、締め切り間際まで誰の入札も無かったのは、3寸強の小寸もので福沢6枚という最低価のせいだったのであろうか。熟慮の末、当国恵志堂に来て頂くこととなった。口絵写真は、その顔のアップである。
ここ一か月ほどヤフオクでは極美古作の話題で沸騰していたが、それも一段落したようだ。現在のヤフオクは完全に二極化しており、1本で数百万もする古品が出る一方で10本で百円などというバーゲンセール並みの出品もある。昭和40~50年代の第二次こけしブームの頃に盛んに集めていた収集家が高齢、または亡くなって大量のこけしが市場に出て来るケースは今後も増えるであろう。それらは殆どが戦後のものと思われるが、よく見ていると戦後でもなかなかの優品も含まれている。そういったものを程々の価格で入手するのも楽しいものである。こけし界には、英太郎19歳、伝喜33年、弘道33、34年、文吉36年など定番と言われるこけしがあり、秋山一雄39年もそれに類するものの一つと言って良いであろう。先日、この39年作をヤフオクでようやく入手することが出来たので紹介したい。口絵写真はその表情である。
今日は人間ドックを受診したきた。在職中は会社で毎年健康診断が行われるが、退職すると後は自己管理となるので人間ドックの受診はその対応でもある。前回の受診から1年以上経ち、また気になる症状もあったことから申し込んだのだが、胃の内視鏡検査受診者が多く、一ヵ月以上も待たされてこの時期になってしまったものである。殆どの検査は1時間以内で終わり、流石に胃内視鏡は時間がかかったが、それでも午前中には全ての検査が終了し、12時からの医師による結果説明を聞いて帰ってきた。幸いなことに現在治療中のもの以外には問題となるような所見は無かったようだ。これで安心してブログの更新にも打ち込める。
昨27日は東京こけし友の会の7月例会があったので、その報告である。35度を超す酷暑の中、こけし好きな80名に及ぶ方々が出席された。おみやげこけしは蔵王系の石山和夫さん。弟子も出来、高齢ながら力の入ったこけしを作ってくれた。例会ギャラリーは「阿部治助4代のこけし」。新品こけしは新旧7工人の力作が揃った。なお、新品こけしは例会開催日の一週間前には友の会HPに予告掲載される。中古品、入札、抽選、こけし界ニュースを挟んで、第二部は各種イベントの報告がスライドを使って報告された。途中から雷と雨の洗礼を受けたが、会終了時には雨も上がってくれて胸を撫で下ろした。8月は通常休会であるが、今年は第4日曜日に中古品の大頒布会が開催されるので、乞うご期待! 口絵写真は石山和夫さんのおみやげこけし。
昨夜は、岡崎幾雄さんの栄治郎型を見て来たが、今夜は、それ以外の工人の栄治郎型を見てみよう。栄治郎型は昭和31年に幾雄さんが復元したのが最初であるが、その後、同系列の工人によって作られている。30年代前半には、斉藤源吉(第305夜、306夜参照)が、同中頃からは岡崎直志が、直志が亡くなってからは息子の昭一が作っている。昭和57年頃からは幾雄の弟子、田中恵治さんも作り始めた。また、源吉の弟子の田中敦夫や石沢角四郎・寅雄の父子も作っており、昭和50年代後半から平成初めにかけては各工人の栄治郎型が華やかに競い合っていた。しかし、現在は幾雄さんと恵治さんが作っているのみで先行きは心もとない状況だ。口絵写真は、恵治作米浪栄治郎型の表情である。
岡崎栄治郎のこけしと言えば、製作年代がはっきりした最古のこけしとして有名であり、その栄治郎のこけしは栄治郎型こけしとして、蔵王系の工人に引き継がれている。その第一人者である岡崎幾雄さんのこけしは戦後の第二次こけしブームの頃には入手難のこけしとして垂涎の的でもあった。その栄治郎型こけしが最近は人気がないと言う。確かにヤフオクなどを見ていても、あの入手難だったこけしがいとも簡単に手に入る。最近は第三次こけしブームとも言われるが、そこで人気があるのは旧来からの伝統的なこけしよりも、可愛いもの、変わったもの、面白いものであるようだ。このような明治時代から綿々と作り続けられて来た本格的なこけしが大事にされないのは、何ともやるせない思いがする。そこで、今一度、栄治郎型こけしについて考えてみたいと思う。口絵写真は、幾雄作岡崎栄治郎札幌時代のこけしの表情である。
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