第52夜:茂吉か実太郎か…
今年も残すところ1日となった。この「こけし千夜一夜物語」(Ⅰ)も4月に念願の1001夜を達成し、5月には100万アクセスも突破することが出来、記念すべき1年となった。これも本ブログを読んで下さった皆様のお蔭と感謝している。この千夜一夜物語(Ⅱ)も、来年以降引き続き、愛読して頂ければ幸いである。さて、今夜は南部系こけしの3夜目として、煤孫家のキナキナを取り上げてみよう。口絵写真は、戦前のキナキナである。
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今年も残すところ1日となった。この「こけし千夜一夜物語」(Ⅰ)も4月に念願の1001夜を達成し、5月には100万アクセスも突破することが出来、記念すべき1年となった。これも本ブログを読んで下さった皆様のお蔭と感謝している。この千夜一夜物語(Ⅱ)も、来年以降引き続き、愛読して頂ければ幸いである。さて、今夜は南部系こけしの3夜目として、煤孫家のキナキナを取り上げてみよう。口絵写真は、戦前のキナキナである。
今年も最後の週になり、街は正月準備一色となってきた。国恵志堂の正月の楽しみと云えば、TVで駅伝を見ながら美味しいものを食べること。中でも蟹は欠かせない。昨日、タラバを仕入れていたものの、今日は限定数量のズワイ蟹の売り出しがあるということで、売り出しの9時に駅前のスーパーで出掛けて来た。混雑を予想して早めに行ったが、人出は少なくすんなりと目的の蟹を仕入れて帰ってきた。さて、今夜は南部系続きで佐々木与始郎のこけしである。口絵写真はその表情である。
早いもので、今年も最終週に入った。そして千夜一夜(Ⅱ)を始めて50夜となる。計画的に記事を掲載している訳ではないので、結果的に内容がかなり偏ってしまった。今夜はあまり触れることがない南部系のこけしを取り上げてみよう。南部系のこけしは手持ちが少なく、1本も持っていない工人も少なくない。そんな中、最近照井音治のこけしがコレクションに加わった。南部系の中でも他系との混血のような藤井梅吉と照井音治。これでようやく両名のこけしが揃ったことになる。口絵写真は、音治の表情である。
菅原庄七がこけしを作り始めたのは明治の末くらいからで、大正期のこけしも残っている。庄七のこけしは美人こけしとして有名であるが、その小寸物の愛らしさも格別である。昨夜は戦前の小寸(豆)こけしを紹介したが、今夜は戦後の小寸物を紹介したいと思う。戦後の小寸ものとしては昭和41年に「たつみ」が注文した一連のこけしが有名であり、形態・描彩とも種々の物が作られており、庄七晩年の代表作と言われている。口絵写真は、二側目の小寸物の表情である。
先日ヤフオクで入手した豆こけし3本組が届いた。出品写真に載っていなかった小さな箱が付いており、この箱に入って売られていたらしい。保存状態はとても良く、今作ったばかりのように綺麗である。箱に入れた状態のまま、今まで保存されてきたのであろう。よくぞ残っていたものである。木地・描彩の特徴から菅原庄七のこけしと思われる。口絵写真は、3本組の内、一番小さなこけしである。
今夜は、12月の友の会例会入札で入手した小林善作のこけしを紹介しよう。善作のこけしについては、千夜一夜(Ⅰ)の第362夜にて、「こけし辞典」の記事を引用して、A型とB型があることを書き、B型の善作こけしを紹介した。A型のこけしは描彩は丑蔵という説もあるが、善作は戦後の昭和40年代に、このA型の復元作を作っている。今回入手したのは、このA型の復元作である。口絵写真はその表情である。
秋保こけしと言えば、美人こけしで有名な菅原庄七が先ず頭に浮かぶが、同じく三蔵の兄弟弟子であった山尾武治や佐藤吉雄も庄七に引けを取らない良いこけしを作っている。この3名とも戦前から戦後にもこけしを作っているため、その変化もそれぞれにあって興味深い。その中で、今夜は佐藤吉雄のこけしを眺めてみたい。吉雄のこけしについては千夜一夜(Ⅰ)の第564夜で紹介しており、その続編ということになる。口絵写真は、昭和20年代前半と思われる吉雄こけしの表情である。
あと3週間で正月というこの時期に台風並みの風雨が襲い、それが通過したら夏のような暑さになった。異常気象が確実の増えているのが不気味である。さて、山形系の祖とも云える小林倉治の弟子である鈴木米太郎のこけしは、昭和14年頃に秀島孜氏が鈴木安太郎の所で発見した10本前後が残っているだけである。その米太郎のこけしは小林清次郎により復元されていたが、米太郎の息子の安太郎も復元していたのは迂闊にも知らなかった。その安太郎の米太郎型が手に入ったので、清次郎の米太郎型と一緒に紹介しよう。口絵写真は、安太郎の米太郎型の表情である。
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