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第49夜:庄七の小寸物(戦後)

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菅原庄七がこけしを作り始めたのは明治の末くらいからで、大正期のこけしも残っている。庄七のこけしは美人こけしとして有名であるが、その小寸物の愛らしさも格別である。昨夜は戦前の小寸(豆)こけしを紹介したが、今夜は戦後の小寸物を紹介したいと思う。戦後の小寸ものとしては昭和41年に「たつみ」が注文した一連のこけしが有名であり、形態・描彩とも種々の物が作られており、庄七晩年の代表作と言われている。口絵写真は、二側目の小寸物の表情である。

戦後の庄七小寸物の作例は「木の花」(第弐拾号)に掲載されている。それによると、昭和41年に「たつみ」の注文で作られた小寸ものは全てが木地も庄七作で、42年以降は木地が息子の敏になるとのこと。

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写真の2本は、「木の花」の41年作(8本)の内の右2本と同手である。木地形態は作り付けのこげす型で、面描は一筆目(左:4寸5分)と二側目(右:5寸)である。この41年作は、木地形態は直胴型とこげす型があり、面描でも目は一筆目と二側目、鼻はねこ鼻と割り鼻など色々あって楽しめる。この写真の2本では、添え葉の描法が異なるのも確認できる。これらの小寸物の胴模様では、重ね菊の一番下に緑2点で添え葉が描かれている。これは昭和15年以前の庄七の胴模様の特徴であり、これら一連の小寸物が庄七自身の古い小寸物を参考にして作られたものであることが分かるのである。ちなみに、昨夜の豆こけしでは、この最下部の緑の添え葉は描かれておらず、それが15年以降の作であることが推測されるのである。

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こちらは、2本の胴底の状態であるが、廻し切りのままでで仕上げはされていない。敏の作は綺麗に仕上げされているものが多いようだ。また、この2本には庄七の署名は書かれていない。

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コメント

庄七のこけしは興味が無かったのですが、久しぶりに30年前位に備後屋?で3寸2.5寸2寸のセット(2寸は譲ってしまったのですが)を買ったのを取りだし眺めて見ました。3寸の胴模様は枝に桃の様な花2.5寸は枝に房状の花、胴底は廻し切りのままでで仕上げない、庄七の署名有りの素朴なこけしでした。

雪割草 様
庄七が戦前に新型と言っていた青頭のこけしですね。胴には梅、桃、枇杷の3種の模様が描がかれて3本組になっているのが多かったようです。

お教えありがとうございます。他に教えていただきたいのですが、梅に鶯の胴模様は佐藤米蔵・高橋忠蔵・佳孝しか持っていないのですが他の工人で描彩する工人はいるのでしょうか?こけしに関し素人なのでお教え頂けましたら幸いです、よろしくお願い申し上げます。

雪割草 様
米蔵の「梅に鶯」模様は知りませんでした。鳥は本来、伝統こけしの模様の主題ではないので描かれることは少なく、戦前では佐藤秀一の「花鳥紋様」くらいでしょうか。忠蔵の「梅に鶯」も本来の土湯こけしではなく余技で作った梅こけしに描いたものです。佳隆、通はその忠蔵こけしを継いだものですね。千夜一夜(Ⅰ)の第763夜参照。他に「梅に鶯」を描く工人は知りませんが、頼めば作ってくれる工人は居るかも知れません。

年末のお忙しいところお教えありがとうございます。佳隆さんには尺2寸の有色材で梅に鶯を作製頂いたのですが、新たに工人に頼みに行く気力が無くなってしまいました。

雪割草 様
佳隆さんに尺2寸の大物を頼みましたか。それは凄いですね!
工人に頼むのは大変なこともありますが、楽しみでもあります。頑張って下さい!
それでは、良いお年を!

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