第64夜:佐藤武雄のこけし
ここのところ秋保のこけしを扱うことが多くなっているが、今夜は未だ触れていなかった佐藤武雄のこけしである。佐藤三蔵の長男であり秋保こけしの本流とも云える立場にある武雄であるが、庄七はもちろんのこと武治や吉雄にもまして取り上げられることが少ない工人である。戦前に木地修業をしたとは言え、その期間は短く、こけしも殆ど残っていないようだ。戦後は多く作っているが新形の影響は避けられず、こけしを習った当時の味わいは感じられない。口絵写真は昭和20年代の武雄こけしの表情である。
佐藤武雄は大正3年、秋保の生れ。佐藤三蔵の長男であるが、佐藤吉雄が三蔵の養子となっていたため、吉雄の義弟となる。小学校卒業後に父三蔵について木地修業、こけしも作ったようだ。昭和9年頃より木地を止めていたが、戦後21年より復活。昭和48年4月14日に60歳で没している。
こちらが武雄のこけし。大きさは8寸。胴にポスターカラーの黄色が使われており、昭和20年代の作と思われる。横広の平頭にやや細めの胴、均整のとれた木地形態である。前髪が左右に分かれておらず、切れ長の表情に古風さも感じられる。
義兄吉雄のこけし(左:昭和29年)と並べてみた。同じ大きさで胴は吉雄の方がやや太いがほぼ同形のこけしに見える。武雄のこけしは兄弟子庄七の影響が強いと言われているが、木地形態、表情、胴模様をみても、義兄吉雄の影響が大きいように見える。はっきり庄七の影響と云えるのは、胴模様の重ね菊の左花弁に赤い縦線が描かれる点である。また、鬢の描き出しが目の位置にまで下がっているのは、三蔵の影響であろう。すなわち、武雄のこけしには、三蔵、庄七、吉雄の要素が混ざっていると云えるだろう。
こちらは、武雄のこけしの比較。右のこけしは昭和31年の7寸。頭の横広がりが無くなり肩の張りも少なくなって極く一般的な形態のこけしになっている。ポスターカラーは使われておらず、表情も目尻が下がって可愛らしいが情味に乏しいこけしになってしまった。この傾向は年と共に顕著となり、その後描彩は娘の節子の筆に変る。
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