第62夜:巳之助の本人型
巳之助と云えば、佐藤周助の次男で周助型の後継者として有名であるが、戦前はもっぱら本人型を作っていた。戦後になって周助型を作り始め、特に昭和40年以降、「たつみ」の専属工人となってからは周助の多様な型を復元し、多くの秀作をものにした。その時期には各種の型の1つとして本人型も作ったが、あくまで周助型が主体で、本人型は余技のようなものであった。今夜は、その巳之助の本人型を見直してみたいと思う。口絵写真は戦前の本人型の表情である。
巳之助は大正9年(16歳)より、父周助について木地修業。12年からは横山仁右衛門工場で働き、こけしもこの頃から作っていたようだ。その後、昭和4年12月に肘折を出て、各地を歩いて、やがて仙台に落ち着き開業することとなる。確認されるこけしは「こけしと作者」に載った旧型と新型の2本が最初で昭和13,4年頃のもの。この旧型が本人型の元になるもので、当初は頭が角張っていた。その後、頭は丸みを帯びるようになり、15年頃からはかなりの数が見られるようになる。
こちらが本項の巳之助こけし。大きさは8寸。胴底に「16.8.28」の書き込みがある。頭は頭頂部が平らな大き目な平頭で後年ほど丸くはなっていない。大きな前髪に短めの鬢、大きな眉と大きな三日月目は顔の上方にあり、大きな眼点の視線は上方を向いている。明るく健康的な表情である。鼻は垂れ鼻、墨の二の口に無雑作に打った紅は口の外にまではみ出して、まるで舌を出しているようにも見える。肩には段があり、鉋溝が1本入っている。やや裾広がりの白胴に大きな横菊を3段重ねている。有名な肘折菊のように斜めには描かれていない。簡素な中にも、肘折らしい泥臭さ、逞しさを感じるこけしである。
こちら、右は昭和30年代の本人型で大きさは7寸。基本的に同じ木地形態であるが、頭が小さくなっている。前髪、鬢も小さくなり、筆も細かくなって雄大さがなくなってしまった。眉・目・鼻は描線が細く小振りで、特に目は上下の瞼が短く三日月目とは言い難い。戦後の世の風潮を体現した愛らしいこけしである。表情から肘折の風土性は消えているが明るさと素直さは感じられる。その後、一連の周助型と共に作られた本人型は、上手くはなっているが、戦前作が持っている風土性・時代感までは再現できなかったようだ。
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