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第61夜:吉太郎周辺のこけし(堀実)

Hori_s16_kao

昨夜遅く降り出した雨が雪に変わり今朝は一面の銀世界となっていた。東京・横浜では今冬初めての本格的な降雪であり、交通機関のかなりに影響が出たようだ。通勤の必要のない我が身を感謝しなければいけないだろう。さて、山形系の小林吉太郎のこけしは好きなこけしの1つであり、それと関連して吉太郎型を作る他工人の作も集めている。これまでにも、これらの工人の中から何人かの作を紹介してきたが、今夜紹介するのは、堀実と思われるこけしである。口絵写真はその表情である。

吉太郎は昭和14年頃からの信濃町時代には殆ど木地を挽かなくなり、梅津春雄、藁科茂、坂部政治が木地を専門に挽いていた。また、描彩は吉太郎の他に堀実、黒田うめの、坂部政治が行っていた。しかも、面描と胴模様が別工人のものもあるようで、それらを正確に識別するのは難しいようである。

Hori_s16

こちらが今回紹介するこけしである。大きさは7寸3分。このこけし、戦前の吉太郎関連のこけしであろうことは想像できるが、誰の作かははっきりしなかった。吉太郎や手持ちの在る坂部政治ではないらしく、とすると残るは堀実か黒田うめのということになる。額が広く、目がかなり下方に描かれている。また鼻が猫鼻になっている。眉・目の描線は細く、やや大きめの眼点が強い視線を送ってくる。

堀実も黒田うめのも文献に載っている作例は少ない。決め手の1つは猫鼻。昭和15年前後の吉太郎関連こけしは殆どが割れ鼻を描いており猫鼻は珍しい。猫鼻の作例としては「愛玩鼓楽」に堀実のこけしが載っており、本項のこけしほどの下目ではないが表情も近いようだ。堀実は明治29年、山形県南置賜郡南原村の生れ。大正6年頃から吉太郎と親しくなりこけしを作り始めたらしい。その後、昭和16年から信濃町の吉太郎の所で描彩を行ったが、残っているものは多くないようだ。戦後は廃業して殆ど作っていない。

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こちらに他の工人の吉太郎型と並べてみた。左から本項の堀実、吉太郎8寸8分、坂部政治6寸5分、日下源三郎6寸。いずれも吉太郎を模した吉太郎型である。横長の丸頭に直胴で、吉太郎は大寸のためか肩に段を入れている。表情は各工人の個性が出ていると思うが、胴模様は吉太郎が良く描く花冠模様で、左の2本は特に良く似ており、同一工人(吉太郎か)の描彩と思われる。

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こちらは、上記の各こけしの側面と頭頂部である。吉太郎の頭頂部は、前髪の後ろから1本黒髪を垂らし、その周りに赤い手絡を描くのだが、本項のこけし(左端)は、1本の黒髪も赤で描かれて、手絡が放射状に広がっているように見える。これは単に間違えたのであろうか? 放射状の手絡と言えば、第56夜で吉三郎の手絡が形は違うが放射状であったが・・・。

 

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