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第72夜:初期作の味わい(秋山忠市)

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昨年11月の「こけし談話会」は鳴子の秋山一家がテーマであった。秋山忠が中心ではあったが、息子の忠市や孫の忠男も対象であった。忠市については鹿間旧蔵の昭和14年作が持ち寄られ、忠市の初期のこけしとして観賞した。ところで、最近、古い鳴子こけしを入手した。戦前物にしては保存状態は良く木地もしっかりしているが、描彩が何とも覚束ない。描き始めて未だ間もない時期の作と思われた。胴底には「忠市」という署名と「8.6.24」という書き込みがある。昭和8年の秋山忠市のこけしということであろうか。談話会で見た忠市の初期こけしとは大分作行が異なり、改めて忠市の略歴を見直してみた。今夜は、その報告をしよう。口絵写真は、忠市こけしの表情である。

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こちらが全体像である。大きさは6寸8分。
さて、秋山忠の長男である秋山忠市は大正2年の生れ。昭和2年、鳴子高等小学校を卒業と同時に高橋武蔵の弟子となり2年間木地修業、昭和5年(18歳)頃よりいたずら程度にこけしを作ったという。昭和8年より兵役につき、除隊後の昭和12年より木地業に就き、こけしも本格的に作ったようだ。その後、昭和18年に応召、終戦後昭和22年に鳴子に帰郷して木地業を再開し、こけしも作った。忠という歴とした父親が居るのに何故、武蔵の弟子になったのかと思ったら、忠は大正12年の関東大震災以降、鳴子を離れて各地を転々とし、鳴子に帰ったのは昭和10年であったとのこと。従って、忠市は忠からこけしをきちんと習わなかったのであろう。
そして、忠市のこけし製作歴を見ると、兵役を挟んで戦前は昭和5年~8年(戦前1期)、昭和12年~18年(戦前2期)の2期に分かれ、戦後は昭和22年以降と区分することが出来る。このうち、戦前1期は忠からの教えは無く殆ど見取りのようなもの、2期は忠の正式な弟子時代という事が出来るだろう。

本項のこけしが、記入通りの製作(入手)であるとすれば兵役に就く(昭和8年)前の作と思われ、戦前第1期の作と言えるだろう。このことから、本項のこけしはその当時の忠のこけしを継いだものではないと思われる。実際、面描などに忠の俤は感じられない。但し、胴模様の下の菊模様には忠こけしと同様の様式が見られる。

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本項のこけしの頭頂部と胴底である。忠こけしでは、頭頂部に放射状の大きな水引を描くのであるが、この忠市の水引きは何とも小さく弱々しい。

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こけし談話会で見た昭和14年の忠市こけし(右:鹿間旧蔵)と写真で並べて見た。昭和14年の時点では、忠も帰郷して忠市も忠にならったこけしを作っていたことが分かる。忠市が忠の弟子となる前の、習作のようなこけしが見つかったことは嬉しいことであった。

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コメント

昭和一桁に紫のロクロ線ですか?ちょっと異様ですね。

しょ〜じ様
紫ロクロというと、岩蔵のように昭和10年代後半というイメージがありますからね…。
秋山家は結構、紫ロクロが多いので、早くからあったのでしょうかねぇ…。

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