第99夜:是隆さん逝去!
昨日(22日)夜、外出から帰宅して是隆さんの訃報メールを見た。早速、是伸さんに電話をして確認。22日の朝に亡くなったと言う。今月頭に是伸さんに連絡した折、是隆さんが入院したという話を聞いたが外出で自宅に戻ることもあるということでそれほど心配はしていなかった。それがまさかこんなに早く亡くなってしまうとは…。こけしは勿論、まだまだ聞きたいことも沢山あったのに、返す返すも残念で寂しい限りである。「高勘」本家無き後、高勘の大黒柱として鳴子こけしを支えてきた是隆さんの逝去は計り知れなく大きい。今夜は、是隆さんを偲んで、その初期のこけしを振り返ってみたいと思う。口絵写真は、昭和48年のこけし(普通型)である。
柿澤是隆さんは、昭和15年、宮城県川渡の生れ。中学卒業後、「高勘」で高橋盛雄の弟子となり木地修業。昭和36年からは鶴岡の村木せつのこけしの木地を挽く。その後、昭和39年から46年まで遊佐福寿の職人となり、その後独立開業した。盛雄の弟子であったが、こけしに関しては福寿の影響が大きい。
こちらが、是隆さんの初期のこけし。左から、古鳴子たちこ(昭和57年)、古鳴子型(昭和40年代末)、普通型(昭和48年)、勘治型(昭和59年)、大正型(昭和50年代初め)、古鳴子型(同)。是隆さんが伝統こけしを作り始めたのは福寿さんの職人時代と言われているが、当時は第二次こけしブームの最中、鳴子の人気工人だった福寿さんは注文に追われ、是隆さんが自身のこけしを作る余裕はそれほど無かったと思われる。本格的に作り始めたのは、やはり独立してからであろう。
左が当時(昭和47年)の福寿こけし(8寸)で、右が48年の是隆こけし(8寸)。是隆さんは先ず「高勘」の一般的なこけしである普通型から始めたものと思われる。ご覧のように良く似たこけしである。福寿の職人をしながら習得した是隆さんの初期のこけしである。以降、「福寿に追いつけ、追い越せ」を目標にこけし作りに励んだのであろう。
ここ数年、是隆さんは親しい愛好家に「俺は福寿を超えたか?」と聞いていたそうである。こけしの3大コンクールを総なめにし、目ぼしい賞は取り尽くし、こけしの世界ににおいて功成り名を遂げた是隆さんであったが、その最終目標は福寿さんだったのである。そこに、一職人としての是隆さんの心意気が感じられる。今はただ、是隆さんの御冥福をお祈りするのみである。合掌。
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自分がファンにしてる作者が亡くなることはホント悲しいですね。蔵王の健男さんも亡くなってしまったので私も今、心にポッカリ穴があいてます。
投稿: しょ~じ | 2016年6月26日 (日) 19時21分
しょ~じ様
全くですねぇ…
もっと色々な事を聞いておけば良かったと後悔しきりです。
投稿: 国恵 | 2016年6月26日 (日) 21時20分
えっ!
今頃まで知りませんでした。
ただ驚くばかり。
現代の名工だったと思います。
投稿: ぽっぽ堂 | 2016年7月 8日 (金) 20時06分