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第103夜:佐藤辰雄の初期こけし

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戦後の昭和20年代から30年代前半は新型こけしが隆盛だった時代で、伝統こけしもその影響を多分に受けて伝統性に乏しい甘い可愛い子ちゃんこけしが作られていた。戦後の伝統こけしの復活は、このような新型風のこけしを排除することから始まったため、そういったこけしは文献等には一切掲載されず、知られることも少なかった。これまで鳴子を中心に、その時代のこけしを紹介してきたが、遠刈田や弥治郎でも同様の現象は見られていた。今夜は、弥治郎の佐藤辰雄の当時のこけしを紹介したい。口絵写真は昭和30年代初め頃の辰雄こけしの表情である。

佐藤辰雄は今三郎の孫にあたり、木地は今三郎に習った。小学校卒業後は炭焼きや農業に従事し、こけしは昭和25年頃より始めたと言うから、新型風のこけしが中心だった時代にこけし作りを始めたことになる。

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こちらが今回紹介するこけし。大きさは8寸。木地形態は、第98夜で紹介した福雄のこけしと同様にシンプルなものであり当時の新型こけしの木地と同じである。下目で中央に寄った円らな瞳は愛らしいものであり、鬢が小さいのも新型の影響だそうだ(新山吉紀さん談)。一方で初期こけしに見られる初々しさと言うことも出来るだろう。ところで、このこけしで筆者が一番気に入ったのは、胴下部の旭菊の模様なのである。実際には未だ手馴れていないためだろうか、無雑作とも思われる菊花には荒々しさや勢いが感じられ、整って愛らしい表情との対比が面白い。これが後年のような整った旭菊であれば魅力は半減しただろう。なお、ほぼ同手の作が「こけし往来」第34集の72頁(『J氏出展品』)に掲載されている。

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こちら、左のこけし5寸はもう少し後年の作、千夜一夜(1)の第276夜で紹介したもので、首に襟巻が付き、面描も旭菊も手馴れてきているのが分かる。

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