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第104夜:戦後空白期の遠刈田こけし(佐藤護)

Mamoru_54sai_kao

鳴子、弥治郎と戦後の伝統こけしの空白期(昭和20年代~30年代前半)のこけしを取り上げて紹介してきたが、今夜は遠刈田の佐藤護のこけしを紹介したい。空白期のこけしはそれほど魅力的なものは少ないため手持ちは少ないが、護のこけしは年代順に集めているために手元にあった。戦後の護は北岡工場で働いた後、昭和24年より新地の自宅に工場を作り木地業を始めたとある。口絵写真は54才署名の護こけしの表情である。

Mamoru_54sai_2men

戦後の護こけしには、胴底の署名に年齢が記載されているので製作時期が分かって都合がよい。さて、こちらは54才の署名がある護こけしである。昭和31,32年の作ということになる。大きさは8寸。胴に比べて頭がやや小さい感じがする。眉・目・鼻・口と鬢の面描が真ん中に寄っていて筆致は弱い。下方に描かれた目は上下の瞼の間を黒く塗り潰しており、眼点には力がなく、表情に乏しい。当時の新型こけしの影響を受けた典型的なこけしと言って良いであろう。胴一面に描かれた重ね菊にも勢いは感じられない。

Mamoru_54sai_hikaku

Mamoru_54sai_toshi_hikaku

こちらは、その後の護こけしである。左から本項のこけし(54才)、55才、56才、右端は戦前(昭和15年)のこけし。55才作は54才と概ね同様であるが、眼点がやや小さくなり、鬢の筆致も勢いが出てきたようだ。左から3本目、56才作では頭の形と面描が一変し、右端の戦前作を彷彿させるようなこけしになっており、その後の作品に期待が持たれた。しかし、護のこけしはその後、戦前のグロ味や剽軽さを持った作風に戻るのではなく、甘美な味わいを目指すようになり、58才から60才にかけてピーク期(第489夜参照)を迎えることになるのである。

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