第108夜:一側目の政五郎
先週末からリオ五輪が始まり、夜間は寝不足気味である。今朝は体操男子が宿願の団体優勝を飾り、連日銅メダルに甘んじていた柔道もようやく金メダルを獲得した。後続の選手の活躍を期待しよう。
さて、肘折の横山政五郎は昭和28年に肘折を訪れた加賀山昇次氏により復活を勧められ、翌29年8月より本格的にこけし製作を再開したという。それ以前の作は戦前も含めて数は少ない。政五郎のこけしはその殆どが二側目であり、一側目のこけしは「愛こけし」や「木偶相聞」に二側目とペアで載っている植木昭夫氏蔵7寸5分(昭和25年頃)以外には見たことがない。今回の一側目の政五郎は、多く作られるようになった29年頃の作と思われるが、やはり珍しいものなので紹介したい。口絵写真は、その表情である。
こちらが、今回の政五郎である。大きさは7寸。細身の直胴にやや大きめの角ばった頭。
同時期の二側目のこけしと並べて見た。左は5寸3分で胴底に「29.9.12」の書き込みのあるもの。右は7寸5分で「30.3.3」の書き込みがある。三本とも木地形態には大きな違いはない。胴の描彩では、左は4段重ね菊で最下部の葉は中心が青2点。中央は4段重ね菊で最下部の葉の中心は青1点。右は5段重ね菊で最下部の葉の中心は青1点と、それぞれ違いが見られる。
次に面描を比べてみよう。左は眉・目の筆致が鋭く、眉にはアクセントも見られる。中央も眉の筆致、アクセントは同様で、上瞼も描線も同様である。一側目ではあるが表情は鋭い。従って、製作時期は29年の末頃であろうか。一方、右では、眉・目の湾曲がやや大きくなるがアクセントは無くなり、顔の中央に寄ってきている。表情的にも笑みを含んだ優しい顔になってきている。30年の3月には、既にピーク期の張りつめた鋭さは薄れてきているのが分かる。
それにしても、政五郎は何故、一側目のこけしを描いたのであろうか。政五郎の師匠の周助を始め、肘折系の古いこけしでは小寸を除いて、一側目のこけしは見かけない。政五郎は叔父の横山新助が柿崎藤五郎の弟子であったことから藤五郎の影響が指摘されている。藤五郎のこけしは高橋五郎氏が発見した1本しか知られていないが、鳴子系の要素が強いとも言われ、鳴子系は一側目が原則なので、何らかの関係があるのかも知れない。
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私も眠い目をこすりながら昼を過ごしております。
角館でニアミスだった事。武家屋敷通りですれ違った際、なにかシンパシーを感じた方がありました。
カメラを携えた方で門(及び庭)を撮影なさろうとされていました。(午後2時頃で周りにあまり人は居ませんでした)
国恵志堂さまはカメラ持っておられましたか?
今頃の質問、ごめんなさい♪
投稿: ピノ助 | 2016年8月10日 (水) 09時58分