第124夜:引眉こけし(今晃)
10月に入ったが、秋晴れには程遠いすっきりしない日が続いている。気温も高かったり低かったり、油断していたら案の定、風邪を引いてしまった。若い頃とは違い、身体は確実に弱くなっているようだ(苦笑)。さて、ヤフオク上では今さんのこけしが相変わらず賑わっている。復元作から本人型まで、幅広く多様なこけしを作り、若い人から年配者まで愛好家は多いようだ。2か月ほど前、そんな今さんのこけしで気になる作が2,3本ずつ纏めて数回出品された。何回目かにようやく入手することが出来たので、今夜はその話をしよう。気になる点とは、「眉が薄墨で描かれている」ことである。口絵写真は、その今こけしの表情である。
先ずは、このこけしの全体像を見ていただこう。大きさは4寸1分、その形態と描彩から、木村弦三コレクションにある島津彦作型と思われる。木地形態は首のところに段があり、肩は張って、胴は括れ、裾は広がっている。胴上部には2本の鉋溝があり、無彩の胴のアクセントになっている。角ばった肩の上部には太い赤ロクロ線を引き、その下にはやや太めの緑ロクロ線を入れている。弦三コレクションの彦作には、緑ロクロ線の下に細い赤ロクロ線があるが、本作では描かれていない。裾部には下から、赤、緑、赤と3本のロクロ線を太さを変えて入れている。下の写真、左が弦三コレクションの彦作である。
さて、ここからが本論である。今さんのこけしの眉は薄墨で描かれている。「原」と思われる弦三コレクションの彦作は特に薄墨とは見えない。(見方によっては多少薄いようには感じるが…)
昨今、眉を剃って描き直すという化粧法は若い人達には当たり前のようになっているが、これは日本では古来からあった化粧法であり、「引眉」と言われているようだ。そこで、ウィキペディアで「引眉」を調べてみると、『眉を剃る(抜く)化粧法は奈良時代からあり、平安時代には元服時に男性貴族が行い、剃った眉の上部に殿上眉という長円形の眉を墨で描いた。江戸時代になると女性のみの習慣となり、元服時に「お歯黒」とセットで行われた。』とある。また、『演劇や浮世絵などでは剃った跡を薄い青で表現する場合が多い、これを青黛と呼んでいる』とある。そう言えば、以前上村松園展を見た時に、そのような作品があるのを思い出した。さらに、こけしとの関連で言うと、『幕末から明治時代にかけての写真や浮世絵に、2歳から12歳くらいの少女が、眉を剃っているものをよく見かける』という記載が注目される。このような当時の風習がこけしに取り入れられ、それが現代まで引き継がれているとすれば、それはまさに「伝統」という事ができよう。
戦前のこけしに、この引眉をはっきり描いたものを見たことはない。この引眉に最初に気付いたのは、福寿さんのえじこであった。当時は、えじこなので変化を付けるためにそのように描いたのだろうと思っていたが、今回の今さんのこけしを見て、それが引眉を描いたものであったことが分かった。また、こけしの奥深さを知る事例に出会った。「こけしの描彩、恐るべし!」である。« 第123夜:友の会9月例会(H28年) | トップページ | 第125夜:二代目虎吉のこけし(大頭) »
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