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第127夜:二重あごのこけし

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外鳴子系列に分類される長谷川清一のこけしはなかなか縁が無くコレクションに入っていなかったが、先日のヤフオクでようやく入手することが出来た。清一こけしの鄙びて玩具っぽい雰囲気が最大の魅力ではあるが、それ以外に、あご線(二重あご)が描かれていることも気になっていた。同じく、外鳴子系列の高瀬善治のこけしにも、あご線が描かれているからである。あご線が描かれたこけしは、この両名と「こけし鑑賞」で鹿間氏が取り上げた松田徳太郎の描彩こけし(木地徳太郎、描彩は別人か?)くらいであり、あご線の由来は気になるところではあった。口絵写真は、今回の清一こけしの表情。

長谷川清一は明治31年、秋田県鹿角郡十和田町の生まれ。大正3年(17歳)、小林弥七について木地を習得し、こけしも作り始めたという。清一こけしについては書肆ひやね発行の「こけし往来(第19集)」に鈴木康郎氏が多くの作品を載せて、詳しく紹介している。それによると、大正末とされるこけし(「美と系譜」でも紹介)に、すでに墨で一本の細いあご線が描かれているという。このあご線はやがて赤に変わり、昭和13年の作例では赤2本になったと記されている。


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さて、こちらが本稿の清一こけし。大きさは7寸4分、朴木製でとても軽い。出品者の解説では昭和12年頃の作という。「往来」掲載の13年作は保存極美であるが、それと比べると頭がやや縦に長く、肩の山にロクロ線が引かれていない。あご下が長い分、二重あごの赤い2線が良く目立つ。

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高瀬善治のこけし(左:昭和10年頃)と並べてみた。善治も師匠は小林弥七で大正5年(17歳)に木地を修業しこけしも習ったというが、弥七は日光の木地師でこけしは知られていない。清一はこけしの嵌め込み技術を弥七から習ったというので、善治も清一もこけしの木地は弥七から習得したのであろう。しかし描彩はどうであろうか・・・。両名とも、大湯の小松五平の影響が強いと言われているが、五平のこけしで二重あごの線は見たこともない。

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善治と清一の二重あごである。清一は雄大に描いているが、善治は小振りである。二重あごと言うと今では太った中年の人を思い浮かべる事が多いが、大きく発育の良い赤ちゃんにもよく見られるものであり、こけしの場合は赤ちゃんの二重あごを描いたものであろう。善治のこけしは昭和一桁台以前の作例が無く、いつからあご線が描かれたかははっきりしない。しかし、清一は大正期の作で既にあご線が確認されており、こけし製作のかなり早い段階から、あご線を入れていたと思われる。それが師匠の弥七からの影響なのか、何か参考にするものがあったのか、清一が考え出したのかは定かではないようだ。

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