第149夜:中鉢新吾とは…
22日はこけし手帖の校正作業で御茶ノ水まで出掛け、帰りにひやねに寄って「往来」入札の中鉢新吾のこけしを受け取って来た。今回の入札でぜひ欲しいと思ったこけしであり、落札できて嬉しい限りである。中鉢新吾と言っても知らない人が多いかも知れない。鳴子の工人である中鉢新吾は岩蔵の孫であり、橘著「こけしざんまい」の中で紹介されているが、こけしの写真は載っていない。新吾のこけしは鹿間著「こけし鑑賞」の中で初めて紹介され、同じこけしが「こけし辞典」にも載っている。橘氏は昭和22年の鳴子訪問の際、新吾のこけしを数本入手しており、その内の2本は昨年ヤフオクで大量に入札された橘コレクションに出品され、Kokeshi Wikiで紹介されている。従って、鹿間コレクションの1本と橘コレクションの2本が判明していることになる。従って、今回の「往来」の新吾は4本目のこけしということになる。保存状態が良く、彩色(特に紫)が良く残っているのが嬉しい。実は国恵志堂には新吾かというこけしが1本あり、千夜一夜1第392夜で紹介している。そのこけしは、一連の新吾のこけしとはかなり作行が違っており、研究課題として残っていた。このことも、この「往来」新吾が欲しかった理由である。口絵写真は、その新吾こけしの表情である。
こちらが、新吾こけしである。大きさは6寸2分。面相筆を使わず普通の筆で面描も行ったのであろう、太い筆致の力強い表情が素晴らしい。
「こけしざんまい」によると、中鉢新吾は昭和12年、中学を卒業すると父久七(塗下師)の縁で大沼竹雄の弟子となって木地修業を始めた。修業時にこけしも作ったかどうは定かではない。しかし、竹雄は15年1月に亡くなり、戦争も始まって新吾も応召した。終戦と同時に帰還した新吾は中山平に移り、岩蔵から絵具を貰ってこけしを作り始めた。
橘氏が鳴子を訪問した(昭和22年6月)のはちょうどその頃で、橘氏は新吾の作り始めのこけしを入手したことになる。その後暫く、新吾はこけしを作って大阪の乙三洞等に出していたというが、間もなく転業してしまったため、作品数は少なく稀品の部類に入るという。
本項のこけしは、Kokeshi Wikiの2本とよく似ており、また胴底には「昭和22年6月」の記入があるので、橘氏が入手したものの中の1本かも知れない。
描彩面では、個々に見ると共通する部分も多い。先ず胴模様。花は3つで、一番上に横菊を、その下に垂れ菊を2つ重ねている。真ん中の菊の色が異なるが、一番下の赤い菊は、両者ともその上に紫(青)で傘上の点線を描いている。このような描法は他の工人には見られない。
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これほどの作者なのに、生存を含め今まで誰も掘り下げないのが不思議でなりません。他に本田久男さんなどは生存してるのでしょうか?鮎川栄吉さんは鳴子にいらっしゃいますが…。
投稿: しょ〜じ | 2016年12月28日 (水) 19時28分
しょ〜じ 様
あまり注目されずに消息も定かでなくなった工人も結構居るのでしょうね。
第二次こけしブームの昭和40~50年代には工人も多く、色々話も聞けたのですが、
今となっては生の情報を得るのは難しくなってしまいましたね。
残されたこけしから想像するしか無くなってしまいました。
投稿: 国恵 | 2016年12月30日 (金) 19時53分