第153夜:今年最初のこけし(佐藤養作)
ヤフオク(ネット・オークション)は365日休み無くやっているので、四六時中こけしの出品を見守ることができる。正月も三が日を過ぎて新しい出品が増えて来た。そんな中から、今年最初に入手したこけしを紹介しよう。佐藤養作のこけしである。養作のこけしは既に1本所有しているが(千夜一夜1第641夜)、今回の出品作はそれとは表情がかなり異なるため、手元で比べて見たく入手したものである。前回の養作を取り上げたのは2012年の1月3日。5年後の正月に再び養作を取り上げるのも何かの縁かも知れない。口絵写真は、その表情である。
こちらが、本項の養作こけしの全体像。大きさは7寸6分。頭と胴の嵌め込みは緩く、南部系のようにクラクラと動く。胴裏には「昭和四十三年二月十一日 佐藤養作」の書き込みがあるが本人署名かどうかは分からない。何とも素朴で不思議な印象を受けるこけしである。それは眉が描かれていないためなのであろう。小寸のたちこには大正期の勘治一家のように眉無し一筆目のものを見かけるが、定寸のこけしでは殆どみかけない。養作は武蔵の弟子であるが、武蔵作でもこのような面描のこけしは見たことがない。
手持ちの養作こけし(右)と並べてみた。右の養作(昭和55年頃)は伊藤文博木地で完全な鳴子型である。一見すると同一人の作とは思えないようであるが、胴の重ね菊模様には相通じるものを感じなくはない。左のこけしでは三段重ね菊の最下段の花が、横菊を上下に重ねたように描いており、これも類例を知らない。
頭頂部の水引を比べてみた。左は武蔵の水引で高亀の標準様式である。一方、本項のこけし(真ん中)では、前髪の付け根から3方向に放射状に引かれた赤線の内、前と後ろは一筆描きで真ん中は二筆描きになっており、これは武蔵の水引とは二筆と一筆がちょうど逆になっている。高亀の弟子時代には武蔵と同様に描いていたと思われるので、戦後の復活時に間違えたのであろうか。後年の作(右)でもこの様式は変わらない。
さて、こけし手帖93号(昭和43年12月発行)に橋本正明氏が「佐藤養作」というタイトルで養作訪問記を寄稿している。それによると、43年2月の友の会例会に川上克剛氏が会田栄治木地に養作が描彩したこけしを持参し、それを見て正明氏は3月に養作を訪ねたとのことである。その時、川上氏が持参した養作こけしには、通常の一側目の他に一筆目のものもあったとあり、川上氏はその一筆目こけしから亀三郎を追及したいとの意向だったと述べている。
さて、こけし手帖93号(昭和43年12月発行)に橋本正明氏が「佐藤養作」というタイトルで養作訪問記を寄稿している。それによると、43年2月の友の会例会に川上克剛氏が会田栄治木地に養作が描彩したこけしを持参し、それを見て正明氏は3月に養作を訪ねたとのことである。その時、川上氏が持参した養作こけしには、通常の一側目の他に一筆目のものもあったとあり、川上氏はその一筆目こけしから亀三郎を追及したいとの意向だったと述べている。
この文章を読んで、武蔵のこけしに亀三郎型と称されているものがあることを思い出した。そのこけし(千夜一夜1第585夜)と並べてみた。武蔵の亀三郎型には眉が描かれているが、白胴の定寸物に一筆目。眉の有無を別にすれば確かに雰囲気の良く似たこけしである。川上氏の追及の結果は定かではないが、養作が復活作で一筆目を描いたのは、亀三郎のこけしを知っていて、それを思い出して描いたのであろうか。亀三郎のこけしは6寸前後が多かったという話もあり、そうであれば眉無し一筆目のこけしもあったのかも知れないが・・・。
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