第158夜:34年の福寿勘治型
昨夜は、斎藤弘道の昭和33年のこけしを紹介したが、今夜は34年の遊佐福寿のこけしを紹介しよう。昭和30年代に入り、こけし界ではいにしえの定評のあるこけしを復元して、その良さを引き継いでいこうという風潮が起こり、多くの復元作が生まれていった。昨夜の弘道の太治郎型もその一つであった。一方で、この時期は新型(創作)こけしが人気を集めていた時期でもあり、福寿や桜井昭二などは新型こけしも製作していた。中でも福寿は特に新型こけしに力を入れて頭角を現し、34年から35年にかけて新型こけしのコンクールで最高賞を受賞していた。もちろん、この時期、福寿は伝統こけしも作っていた。口絵写真は34年の勘治型の表情である。
こちらが、その全体像である。大きさは8寸。胴底に「勘治型 福寿」の署名と「34.12.31 ××誕生記念」の書き込みがある。昭和30年代中頃の勘治型はこのようなものだったことが分かる。福寿の勘治型は盛と同じく昭和27年から始まる。盛の勘治型はやがて目尻が尖ったキツイ表情のものとなり、福寿も当初は同様の勘治型を作っていた(千夜一夜1第830夜)。その後、30年代に入り、結婚・独立したことによって、福寿の勘治型も盛勘治型から離れて独自のものになっていく。二側目の瞳は水平で目尻が離れ気味で、やや漫画チックな表情にも思える。新型こけしの影響があったのかも知れない。
手元にある30年代の福寿勘治型を並べてみた。右から①32~33年頃、②33年頃、③34年(本項のこけし)、④34年、⑤35年、⑥36年頃である。福寿の勘治型は、27年に西田勘治を写してから始まったので、この30年代は西田勘治の作風を引き継いだものとなっている。①は勘治型と言っても、胴の形態、頭頂部の髷、胴の菊模様などは盛勘治型に倣っている。②辺りから西田勘治を意識したものとなり、胴の形態、髷、菊模様が変わってきた。目の描彩は難しいようで安定していない。③も②と同様であるが、鬢がやや短くなり目が安定してきた。④は勘治型では珍しい(これ1本しか見たことがない)振り分け髪。⑤はこの時期の福寿こけしの特徴でもある胴が太くなっている。目はやや小さくなりおとなしい表情である。⑥は胴の張りが一段と顕著になり風格のある堂々としたこけしになった。鬢が長くなり、二重の瞳は安定して格段と良くなり、口も赤1点(①~⑤は赤2点)と西田勘治の特徴をかなり取り入れたものとなっている。ただ、胴模様は左右の蕾など独自の様式になっている。福寿の勘治型が「原」の勘治を彷彿させるものになるのは38年になってからである。
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