第191夜:是隆・茂さんの旧作(昭和30年代)
柿澤是隆さんは、昭和15年の生まれ。中学卒業後、高橋盛雄の弟子となり木地修業。昭和36年からは鶴岡の村木せつのこけしの木地を挽く。昭和39年から46年まで遊佐福寿の職人となり、その後独立開業してこけしを作ったが平成28年6月22日に逝去。
また、滝島(大場)茂さんは、昭和11年の生まれ。中学卒業後に高橋盛雄の弟子となり木地修業。年季明け後「高勘」の職人として勤めたが昭和34年に転業。昭和42年3月に滝島家の養子となり木地業を復活。その後、こけしを作ったが平成20年12月8日に72歳で逝去。
こちらが今回のこけしで、左が是隆作(5寸8分)で右が茂作(6寸)である。
先ず、是隆作について。木地形態は「高勘」の標準的な形態であり、胴模様も6寸の標準的な模様である2輪の正面菊である。表情は愛らしく、後年の格調高い表情とは相当異なる。村木せつ、福寿の職人時代はそれぞれの木地下を挽いており、自身のこけしは作らなかったと思われるので、昭和30年代前半の「高勘」時代の作と思われる。
次に、茂作について。木地形態は、胴模様は「高勘」の標準的なもの。表情は眼点が小さくキリッとしており後年のこけしに相通じるものがある。署名が「大場茂」となっていることから、昭和42年3月以前と限定される。しかも34年に転業していることから、こちらも昭和30年代前半の「高勘」時代の作と考えられる。
先ず、是隆作について。木地形態は「高勘」の標準的な形態であり、胴模様も6寸の標準的な模様である2輪の正面菊である。表情は愛らしく、後年の格調高い表情とは相当異なる。村木せつ、福寿の職人時代はそれぞれの木地下を挽いており、自身のこけしは作らなかったと思われるので、昭和30年代前半の「高勘」時代の作と思われる。
次に、茂作について。木地形態は、胴模様は「高勘」の標準的なもの。表情は眼点が小さくキリッとしており後年のこけしに相通じるものがある。署名が「大場茂」となっていることから、昭和42年3月以前と限定される。しかも34年に転業していることから、こちらも昭和30年代前半の「高勘」時代の作と考えられる。
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