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第210夜:盛雄こけしの木地は…?

Morio_fukujyu_kao

先月末より夏風邪をこじらせてしまい本ブログの更新も滞ってしまった。さて第209夜で、友の会8月臨時例会で入手した高橋盛雄のこけしを紹介したところ、しょ~じ氏より「木地は福寿ではないか・・・」とのご指摘を頂いた。確かに言われてみれば木地に関しては迂闊にも殆ど考えたことはなかった。戦前の「高勘」では家族(一家)でこけしを作っており木地別人は珍しいことではなかった。盛雄は昭和12年から戦後まで木地業を離れており、その間、昭和20年からは福寿が木地修業に入り、以降「高勘」こけしの木地を一手に引き受けて挽いていた。盛雄は木地があまり得意ではなかったという話もあり、盛雄こけしの木地を福寿が挽いていた可能性は大きいと考えられる。そこで改めて、その当時の盛雄こけしと福寿こけしを並べて検討を試みた。今夜はその検討したこけしを紹介しよう。口絵写真は、友の会で入手した盛雄こけしの表情である。

Morio_fukujyu_1

Morio_fukujyu_syomei

問題の盛雄こけしは、署名の様式と描彩の特徴から昭和30年代前半のものと判断し、同型の福寿こけしと並べてみた。左が盛雄作、右が福寿作(S33.5)で大きさは共に6寸。胴のロクロ線の様式も同じである。こうしてみると(写真では分かり難いが)、盛雄作は肩の張りが一段と大きく、胴の反りも深く、胴上部に比べて胴下部がかなり広がっており、角ばった鋭角的な形態であることが分かる。署名の写真で分かるように胴底の大きさも盛雄作の方が2ミリほど大きい。対して福寿作は胴上下の大きさにあまり差が無く、丸みを持った形態である。この差が、個人の誤差の範囲なのかどうかは何とも言えない。

時期が近い両者のこけしをもう少し見てみよう。

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こちらは昭和28~29年頃の盛雄(左)と福寿(右)で大きさは8寸。胴の反りにかなり違いがあるように見えるが、福寿作は30年に近いものと思われる。

Morio_fukujyu_s30

こちらは昭和30年の盛雄(左、8寸)と福寿(右、7寸)。この時期は胴の反りが直線的で肩の山が小さくなるのが特徴。両者に差は殆ど見られない。

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こちらは昭和31~32年頃の盛雄(左)と福寿(右)で大きさは8寸。やや肩に丸みが出て肩の赤ロクロ線が細くなる。盛雄作は頭の形も含めてやや細身となっている。

こうして見てくると、各時期の盛雄作と福寿作には違いもみられるが、胴のロクロ線の様式が同じという共通点も見られ、両者の木地が同人か別人かの判断は難しい。福寿作が木地も福寿であることは間違いないだろうが、この中に盛雄の木地があるのかどうかは分からない。

また、福寿さんは昭和32年4月に結婚・独立しているが、それ以降も盛雄木地を挽いたのかどうか? また、当時「高勘」で職人をしていた森谷和男さんの木地もあるのではないだろうか? 今となってはなかなか難しい問題になってしまった…。

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コメント

昭和30年代の高勘には職人が沢山いたのですね…。それにしても盛雄さんの良い作、揃っていて驚きです。70年代以降はやや筆が硬くなってしまい普通形をあまり描かなくなってしまいました。

しょ〜じ様
盛雄さんも30年代には良いこけしを作っていたようですね。作れば売れるこけしブームになって量が質を変えてしまったようです。30年代のホンワカしたこけしは貴重です。

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