第224夜:秋山耕一郎のこけし
今夜紹介するのは、秋山耕一郎のこけしである。耕一郎のこけしは時々見かけるが、それらは戦後の昭和30年代以降のもので、新型こけしの影響を感じさせる甘い表情のものである。耕一郎は戦前からこけしを作っているとのことであるが、戦前作は文献等でも紹介されていないようだ。今回のこけしは胴底の「秋山耕一郎」という記名と「昭17」という書き込みから戦前の耕一郎こけしと思われるものである。耕一郎の真作であれば珍しく貴重なこけしと言えるだろう。口絵写真は、その戦前、耕一郎のこけしの表情である。
耕一郎の父耕作のこけしについては、第164夜で若干触れているが、「こけし辞典」「Kokeshi Wiki」を元におさらいしておこう。耕作は明治14年の生まれ。秋山清八郎の長男で、忠、慶一郎は弟である。秋山家は元々は士族であったが明治31年に一家で鳴子に移った。木地業は忠が岩蔵の弟子になったことから始まる。明治39年に清八郎が秋山木工所を作ったことから一家で木地業に従事するようになり、耕作、慶一郎も忠より木地を習った。耕作はその後、蔵館(南津軽郡)で独立し、大鰐を経て、大正12年父の死後鳴子に戻って木地業を続けた。耕一郎(明治43年生まれ)はこの頃、耕作より木地を習った。「鴻」第5号(昭和15年11月発行)では「作者・産地のニュース」の中で秀島氏の報告として『秋山耕作、最近木ぼこを挽き始めた。描彩は妻のとくよがする。息耕一郎も作って居るが、描彩は未だ板に附いて居ない。』と記されている。
戦前の第一次こけしブームの中で、鳴子の木地師は皆こけしを作るようになる。しかし木地は挽けても描彩は得意でない工人もあったであろう。そのような場合は妻女が描彩を担当するのも稀ではなかった。耕作もそうした工人の一人だったのであろう。昭和14年頃からこけしを作り始めたようであるが、14年、15年の作例は見かけない。「Kokeshi Wiki」や「ぽっぽ堂コレクション」「愛玩鼓楽」には昭和16年から17年初の作例があるが、眼点の大きな素朴なこけしである。胴模様の菱菊も稚拙であるが、同時期の大沼希三や後藤善松も当初は同じような模様を描いているので、そのようなものだったのであろう。「こけし辞典」には17年、18年の作例が載っているが、こちらでは面描、胴模様とも格段に整ったものになっている。耕作こけしの描彩は妻とらよが行ったと言われているが、16年作と17年作では相当異なっており、当初は耕作自身が描いたとも考えられなくはない。
こちらが、耕一郎こけしの全体像である。大きさは7寸4分。細長く、胴中央がやや膨らんだ直胴に角張った小さな頭を付けている。胴上下および肩の山のロクロ線は赤のみで古い鳴子の様式に倣っている。描彩は「こけし辞典」の耕作17年作に良く似ている。胴模様は上部の横菊は大きな花弁がざっくりと躍るように描かれて勢いがあり、一方下部の正面菊は細い花弁が重なるように緻密に描かれて華やかである。この対照的な菊花の描法は巧みであり面白い。面描では、下端が真横に揃った前髪、細い三筆の鬢、消えそうな程細い眉、やや大きい瞳、小さな鼻と口などが整って描かれており、ややはにかんだような静かな微笑みを浮かべた童女である。
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