第302夜:戦後の幸助こけし
久作と同じく秋田時代の盛の弟子である子野日幸助のこけしについても見てみよう。戦後の幸助こけしについては、昭和32年10月に山田猷人氏の勧めで盛木地に10本描いたのが復活作とされる。そのこけしは本年7月の友の会例会入札に出ていたが、残念ながら入手は出来なかった。また、昭和42年に橋本正明氏の依頼で福寿木地に描彩したものが知られている。その後は、久作と同様、民芸店「フミオ」の注文で井川武松木地にも描彩し販売されている。口絵写真は昭和34年作と思われる幸助こけしの表情である。
幸助のこけしは武松木地のものは時々見かけるが、それ以外のものは殆ど見かけない。本項のこけしは2年ほど前に友の会の入札で入手したもの。大きさは7寸。胴底には「34.5.1」のラベルが貼ってある。幸助の戦後作は32年10月が復活作と言われているが、それから2年程後の作ということになる。肩の山は小さめであるが高勘の木地形態である。32年作と比べると鬢が長く、眉目の筆致はおとなしく、おっとりした表情になっている。胴模様の正面菊は花芯の周りを大きく空けた独特の様式になっている。
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