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第376夜:昭和20年代の川合信吾のこけし(?)

Shingo_s20dai_kao 先週の金曜日(16日)に人間ドックに行って来た。ちょうど2か月前の6/16日辺りから胸苦しさとお腹の不調が出始め、更に血圧も上が150、下が100を超えるような状態となり、安静に努めていたが改善が見られずに日が経ち、精密検査を受ける事にした。先ずは胸の苦しさを調べるため心臓冠動脈のCT検査を行い、次いで大腸の内視鏡監査、そして総仕上げに人間ドックを受診した訳である。最終的には重篤な病変は見つからず、体調の方も徐々に回復して一安心といったところである。まあ、とりあえず一年間は大丈夫か…(苦笑)。 さて、鳴子の岸正男の弟子である川合信吾については早くに鳴子を離れてしまったためか、そのこけしに関しては分からないことが多い。先日のヤフオクにその川合信吾の初期と思われるこけしが出ており、最低価(500円)に10円を足した金額で落札できてしまった。今日はそのこけしの紹介である。口絵写真はその表情である。

Shingo_s20dai_2men

こちらが全体像である。大きさは5寸。これを見て、これが川合信吾のこけしであると即断できる人は殆どいないのではないか。国恵も胴底に「川合信吾」の書き込みがあり、川合信吾のタイトルで出品されていたのでそうかなあと思った次第。このこけしの全体と表情から受ける印象は、戦後昭和20年代の鳴子共通型と言われるこけしであり、当時は鳴子の多くの工人がこのようなこけしを作っていたのであろう。署名も無いものが多く単に鳴子こけしとして売られていた。そして当時の収集界はこのようなこけしに冷淡であり、こけしの文献等にも殆ど載っていない、鳴子こけしの空白期なのである。従って、この時期の署名の無いこけしの作者が誰であるかははっきりしないことが多い。川合信吾は岸正男の弟子ではあるが、本項のこけしに岸正男に連なる特徴は見出せない。下目で瞳が大きく、目尻・眉尻が下がった表情は、この時期の鳴子共通型の特徴でもある。胴模様の四つ花は牡丹か。

Shingo_s20dai_hikaku

さて、もう1本手元にある川合信吾(左、6寸)と比べて見よう。こちらは著名な収集家の旧蔵品であり、昭和30年代の川合信吾と思われる。反りの少ない木地形態と密なロクロ線は右のこけしと比べて伝統的な雰囲気を持っている。胴模様は同じ牡丹であろうか、こちらも旧来の描法であり、しっかり赤い土玻も描かれている。面描も眉・目の描線の湾曲が少なくなり、眼点も小さくなって控え目な微笑を湛えている。しかしこちらの作でも、岸正男からの伝承は明確ではない。

Shingo_s20dai_atama_hikaku

なお、この2本では頭頂部の水引の様式が全く違っている。右の作では、鳴子共通型の定番である岡崎家の様式を描いているが、左の作では高亀の様式になっている。これは何故であろうか…?

Shingo_s20dai_hikaku2

信吾は昭和30年頃に鳴子を離れて小牛田に移ってしまい、こけし製作も中断してしまったようだが、時折岸正男の所に来て手伝っていたようだ。その後、小牛田で本格的に復活するのは昭和57年頃で、それ以降の作品は中古市場で目にすることも多い。左(7寸5分)は復活以降の作で、一筆目のような細い目に達筆な胴模様が、ロクロ線の無い白木地に映えて美しい。岸正男の弟子ではあっても、その伝承は希薄で信吾自身のこけしを作り上げたと言えるのだろう。なお、信吾こけしについては、「こけし辞典」後の川合信吾工人 を参照されたい。

 

 

 

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