第385夜:戦前武男こけしの再検証
戦後の「高亀」を背負って支えた中心工人である高橋武男は戦前の昭和8年頃からこけしの製作を始め、応召される昭和13年までこけしを作っていた。また、応召後も休暇で鳴子に帰省した折にはこけしを作ったとされる。しかし、「高亀」は一家の共同作業でこけしを作っていたためもあってか、武男作として残っているものは少ない。先日、その武男の昭和13年というこけしがヤフオクに出品されたので貴重な資料という意味合いもあって入手した。これまで、戦前の武男こけしについては疑問点もあったので、今回その点についても検証を試みた。口絵写真は、その13年とされる武男こけしの表情である。
こちらが今回入手したこけしである。大きさは8寸。胴底には「鳴子」という墨字と「武男作 昭和13年以前」という鉛筆書きがある。やや角張った頭に裾に向けて広がった胴を付け、胴下部には鉋溝が1本入っている。肩の山はやや高めでこんもりとしている。前髪、鬢とも程良い大きさで顔の中央に描かれている。目の位置は顔の真ん中ほどで所謂下目にはなっていないが、やや伏し目がちのおとなしい表情である。Kokeshi wikiには昭和12年という武男こけし(右)が載っているが、胴の重ね菊の花芯の形状も含めてほぼ同様の作行きなので、本作も昭和12~13年頃の武男こけしと言って良いであろう。
戦前の武男こけしとしては、千夜一夜(1)の第823夜に1本のこけし(5寸2分)をあげているので、それと比べてみよう。右のこけしがそれであるが、小寸ということもあってか木地形態、描彩とも本作(左)との共通点は見出し難い。
そこで、表情を比べてみた。頭の形は左が角頭、右が丸頭であり、右は鬢の位置が外側に寄っているので顔の面積が広くなっており、その分目の位置も外寄りになっている。ただ、やや伏し目がちなおとなしい表情には相通じるものが感じられる。また、第823夜で述べた水引の形状は同じである。このようなことから、右のこけしは左寄りやや後のこけしではないかと思われるのであるが… その点の検証は次回にて…
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