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第427夜:幸三郎と鉄寿

Kozaburo_ragubi_kao 志村けんが亡くなった。新型コロナの陽性が分かってから一週間であった。日本を代表する喜劇界の第一人者の急逝を残念に思うと共に新型コロナの恐ろしさを改めて認識した。志村けんは昭和25年2月20日生れ、国恵とは僅か一か月と6日違いの同学年、とても他人事とは思えない。ご冥福をお祈りしたい。さて、本日(3/31)、ヤフオクで落札した高岡鉄寿のこけしが届いた。高岡幸三郎のこけしは系統がはっきりしないものの、その切れ長でちょっとニヒルな感じの微笑みが気に入っている。幸三郎のこけしは尺物を1本持っていたが、ヤフオクに出品されたものはそれとほぼ同寸で同じ胴模様、しかも作者名は高岡鉄寿となっていた。鉄寿は幸三郎の5男であるが、こけしは鉄寿が先に作り、鉄寿が早逝したため幸三郎が引き継いで作っていた。その鉄寿という名前に引かれて入手したのだが、話は思わぬ方向に発展してしまった。本ブログは3/31に書き始めたのだが後述の理由によって、4/4の夜に掲載することになった。口絵写真はその鉄寿として出品されたこけしの表情である。

Kozaburo_ragubi_2men Kozaburo_ragubi_syomei

こちらが、鉄寿こけしの全体像である。ヤフオクに「高岡鉄寿」として出品されたのは、胴底の書き込みによるものであろう。流石に「海谷」は「高岡」に変更してある。大きさは尺。頭は横長のラグビーボール型で胴は長めである。頭頂部から前髪、鬢の横にかけて割れが入っている。普通なら敬遠するのだが、珍しい鉄寿こけしという事で争奪戦に参入・入手した次第。

Kozaburo_ragubi_hikaku

早速、手持ちの幸三郎こけしと並べて見た。頭の形は異なるものの、その他の描彩・面描はほぼ同じである。胴模様には泥絵の具を使っている。いくら幸三郎が鉄寿こけしを真似て作ったとは言え、ここまでそっくりというのは考え難い。

Kozaburo_ragubi_kao_hikaku

顔の部分を特出しで比べてみた。前髪の長さ、鬢飾りの本数(左4本、右5本)に差違は見られるが、どうみても同一人の描彩と思われる。そこで、改めて文献で幸三郎こけしを探してみると、「愛玩鼓楽」にこの2本と同手の2本(1066と1067)が掲載されていた。これにより、今回の鉄寿と言われたこけしは幸三郎のこけしであることが決定的になったのである。と、話はここで終わるはずであったが、思わぬ展開を迎えることになったのである。


今回のヤフオクへの出品は「ひやね」であったのだが、同時期に「ひやね」は「往来(63集)」でも紙上入札を行っており、そちらには「高岡幸三郎」としてかなり黒くなったこけしが出品されていたのである。今回、幸三郎と鉄寿のこけしを調べていくと、この「往来」出品の幸三郎が鉄寿である可能性が出てきた。そこで、この往来の幸三郎に入札し、本日入手することができたのである。この幸三郎(鉄寿)が届いたら、本ブログの続編として掲載する予定なので、今少しお待ち頂きたい。

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