第464夜:甚四郎こけしとの縁・・・
自粛一斉解除後、徐々にコロナの新規感染者が増えていた東京で、遂に一日100人を超えた。友の会の7月例会は参加者数を制限しての開催で準備が進んでいるが、より一層気を引き締めなければならないだろう。さて、もう10年以上も前になるが、こけし店「あおぞら」が新橋にあった頃、店主よりお誘いがあって店に顔を出すと、保存の良い鳴子のこけしがあった。大沼甚四郎の戦前のこけしだと言う。今作ったのかと思われる綺麗さに逆に古品らしさを感じられず、その時は購入を見送ってしまい、その後甚四郎こけしとは縁遠くなってしまった。先日、「甚四郎のこけしは要りませんか?」というお話があり、そのこけしは保存が良く、胴底に「陸奥売店」の印があるとのこと。そこで、こけし手帖のバックナンバーを探してみると、第496号(平成14年5月)に、友の会の柴田長吉郎・元会長が「陸奥売店のこけし・大沼甚四郎」という記事を書かれているのが見つかった。そこには陸奥売店の甚四郎の写真(白黒)も載っており、それを脳裏に刻んで、今回の甚四郎こけしを見せて頂いた。今夜は、そのこけしを紹介したい。口絵写真は、その表情である。
こちらが、その甚四郎のこけしである。大きさは8寸6分。御覧のように退色は全く無く、保存状態は頗る良い。手帖の柴田氏の記事によれば、陸奥売店の後継者の大黒正彦氏(当時、横浜在住)が保存されていたこけしの中の1本であるとのこと。甚四郎は甚三郎の次男で岩蔵の弟にあたる。明治時代から木地を挽き、こけしも作ったがその頃の作は深沢コレクションに1本残っているのみである。大正14年からは北海道洞爺湖畔で土産物店を開店していた。この洞爺湖の店に昭和15年12月、深沢要氏が訪問して2本のこけしを作って貰い、それが残っている。甚四郎は昭和17年には鳴子に戻り、上鳴子の健三郎の近くに家を借りた。この時に、健三郎の木地に描彩を行い、陸奥売店に卸した。18年には赤湯に移り、19年には鳴子に戻ったが12月10日に亡くなった。洞爺湖で作った2本は一筆目で古風な佇まいを持った佳品であったが、鳴子に戻ってからの作は眼点の入った一側目のものとなり、木地別人と言うこともあって古風さは薄れた。本作も眼点は大きく愛らしい表情になっているが玩具っぽい雰囲気は保っている。本作では胴模様も珍しく、柴田氏の記事によれば「四方菊」と言うようだ。手帖に載った甚四郎こけしの写真と本作を子細に比べた結果、本作がその写真のこけしに間違いないと分かった。
改めて、甚四郎こけしと胴底の署名を掲載する。
なお、本こけしが十数年前に「あおぞら」で見たこけしかどうかは定かでない。しかし、その時の記憶から大きさ、色調、胴模様は同じであり、「あおぞら」の甚四郎こけしが陸奥売店の作であることは間違いないであろう。あの時逃した甚四郎が時を経て戻ってきたと考えると、これも「こけしの縁」ということで面白い。
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洞爺湖の2本みたいな古雅な感じはしませんが、とても可愛らしい良いこけしだと思います。
木地は見た目一瞬万之丞にもみえたのですが、健三郎なのでしょうか?。
投稿: 益子 高 | 2020年7月 3日 (金) 19時40分
益子 高 様
甚四郎というと洞爺湖時代のものの印象が強いですが、これはこれで別種の趣がありますね。
木地は健三郎で間違いないと思います。ロクロ線の健三郎ブルーも良いですね。
投稿: 国恵 | 2020年7月 4日 (土) 17時31分