第512夜:帰ってきた蛸坊主(荒川洋一)
こけしを集め始めて最初の産地訪問は、昭和46年の10月。大学のサイクリング部の合宿で会津若松から福島まで磐梯・吾妻スカイラインを走破した帰りであった。その時は、飯坂と土湯温泉に行き、3本のこけしを求めた。土湯温泉ではバス停横のアサヒ写真館で2本のこけしを買った。1本は欲しくてたまらなかった斎藤弘道さんの作、そしてもう1本は蛸坊主を選んだ。まだ工人名もろくに分からない時期で、蛸坊主は荒川洋一さんと三瓶春男さんの作があったと思う。作品の良し悪しなども分からず、荒川作を選んだのは、胴底の署名に「芳蔵弟子」と書かれていたからであった。その蛸坊主は国恵志堂の4番目のこけしであった。しかしその後、そのこけしは手放してしまった。最近、こけし自分史なるものを纏め初めたところ、この収集初期のこけしが必要になり、その写真を探したが見つからなかった。ところが先日、そのこけしがヤフオクに出てきたのである。何とも嘘のような都合の良い話であるが、そうしてこの洋一さんの蛸坊主が戻ってきたのである。今夜は、その蛸坊主を紹介したい。口絵写真はその表情である。
こちらが、そのこけしである。大きさは1尺。荒川さんは昭和45年頃から岩本芳蔵の弟子となって伝統こけしの製作を始めたという。当初は、師匠そっくりの芳蔵型のこけしを作っていた。昭和47年になって芳蔵から善吉型の製作を許され、その後善吉型で高評価を受けるようになり、中ノ沢こけしの人気工人となって今に至っている。従って、本作を作っている時点では、46年より製作を始めた兄弟弟子である三瓶さん共々、中ノ沢の新進工人だった訳である。もちろん、新人コレクターである筆者はそんなことは全く知らなかった。
そうして月日が経ち、このこけしは手放しても良いと思いヤフオクに出したところ、胴底に書かれた「芳蔵弟子」という荒川さん自筆の書き込みがこけし界の先輩の目に留まり、結構な価格で落札されてその先輩の所にお嫁入りしたのである。
こちらが、その胴底の署名と書き込みである。現在の荒川さんの署名は単に「洋一」であるが、この頃は「荒川洋一」とフルネームで書いていたことが分かり興味深い。
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