第528夜:直志の栄治郎型
昨夜に引き続き、岡崎直志の栄治郎型を取り上げよう。ここ2ヶ月ほどの間に、ヤフオクで2本の栄治郎型こけしを入手した。1本は他に応札が無く野口英世1枚で、もう1本は1円からの出品で、こちらも野口英世1枚でおつりがくる価格で入手できた。栄治郎型こけしの人気の無さを物語るような結果であった。栄治郎型が好きな筆者にとっては良いこけしを安価に入手できることが出来、有難いことではある。そうして入手した2本のこけしを今夜は紹介したい。口絵写真は、その栄治郎型(初期)の表情である。
こちらが、その2本のこけしである。大きさは1尺。右のこけしには胴底に「昭三四」のペン書きがあり、昭和34年の作であろうか。直志が栄治郎型を作り始めたのは昭和34年になってから。直志の弟子で能登屋の当主であった幾雄さんが栄治郎型を作り始めたのは昭和31年。その後幾雄さんは家業の酒屋が忙しくなり、こけしを殆ど作れなくなった。そんな状況の中、収集家から直志に栄治郎型の製作依頼があったのだろう。こけし手帖187号の「岡崎直志こけし談」にあるように直志は『…一番悩まされるのが、栄治郎型を復元しろ、と注文されることです。ほんとうに苦労します。…』と述べている。直志の栄治郎型は自ら進んで作ったのではなく、収集家の強い要望によって作らされたものなのであったようだ。従って、栄治郎の現物を見たのではなく、写真か幾雄の栄治郎型を参考にして作ったのであろう。頭頂部の扁平な頭などにそれが現れているが襟巻き状の赤い首は付いていない。また、胴左横には2つの蕾が添えられている。それでも頑張って作ったのであろう。表情は凛々しくなかなか良い。左のこけしは昭和42年頃の作。赤い首は付いているが頭や胴の形態は直志流に変化している。頭部の手絡や鬢、面描は直志自身のものであり、胴横の蕾も無くなっている。「原」の雰囲気からはかなり離れた栄治郎型となっている。
直志の初期栄治郎型を並べてみた。右は5寸2分。胴底に「34 5/3 友の会」と記載されており、小野川温泉に友の会の旅行会で訪れた際に入手したものと思われる。
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いつも楽しく拝見しています。ひとつお聞きしたい
のですが直志の栄治郎型の銘の横に乙卯と書いてあります。
これはどういう意味ですか?お分かりでしたら教えていただきたいのですが
よろしくお願いいたします。
投稿: ター坊 | 2021年5月20日 (木) 12時43分
ター坊 様
いつもご覧いただき、ありがとうございます。
「乙卯」は、西暦年を60で割って55が余る年のことを言うそうで、1975年(昭和50年)がそれになります。従って、昭和50年の作(直志さんは51年1月逝去)ということになりますね。
投稿: 国恵 | 2021年5月20日 (木) 13時18分