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第547夜:弘道の微笑み(誕生)

Hiromiti_s3307_kao コロナ禍の中で、本ブログの更新も滞りがちであるが、久し振りに書く気を起させるこけしがやってきた! 斎藤弘道のこけしである。弘道のこけしは「弘道の微笑み」と題して、昭和33~34年作のこけしを追求しており、国恵志堂の蒐集テーマの最右翼に位置するものである。筆者が最初に弘道のこけしを見たのは「こけし 美と系譜」である。88頁には、太治郎と弘道のこけしが3本ずつ掲載されている。その弘道こけしに魅了されて、以来50年に渡る蒐集生活を送ってきたのである。今、その「美と系譜」の解説を読み直すと、弘道の製作日付けに間違いがあることも分かる。今夜紹介するこけしは、そこには載っていないもの、3本の内、左2本の間に位置する時期のものである。口絵写真は、そのこけしの表情である。

斎藤弘道は昭和31年よりこけしを作り始めたと言うことであるが、31年、32年のこけしは見たことがない。文献での紹介は「こけし手帖(22)」(昭和33年8月25日発行)の「こけし界ニュース」が最初であろう。そこには、古型(返しロクロ模様)、本型(波線模様)、太子型の3本の写真が載っている。写真が小さく、その表情までは分からない。手帖の発行日付から考えると6~7月頃の作であろうか。

Hiromiti_s3307_2men

さて、こちらが今回紹介する弘道のこけしである。大きさは9寸、こけし界の先輩からようやく譲って貰ったものである。初期の弘道こけしであるが文献等でも見たことがない表情のこけしである。胴底の署名によると「昭和33年7月28日」の作である。弘道の33年作は鹿間時夫氏により「美と系譜」や「こけし鑑賞」で紹介されて有名になり、弘道のこけしの中でも高評価のこけしとなっている。特に「系譜」「鑑賞」に載っている33年10月作は素晴らしい。昭和63年3月、銀座松屋で開催された故鹿間氏のコレクション展には、この33年10月の弘道8寸が何本か並んでいた。垂涎のこけしであったが、1本5万円の価格は若年のサラリーマンには手の出ないものであった。

さて、本稿のこけし、最初に見た時の印象は「何とあどけない表情」をしたこけしなんだろうと思った。正に生まれて間もない幼子の無垢な表情そのものでないか…。そして、しっかりと「弘道の微笑み」も見てとれる。頭の縦の長さが短くなり、眼点が大きくなったため、このような表情が生まれたのであろう。どうしてそのような顔を描いたのかは分からない。

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さて、ここに33年作を4本並べてみた。左から33年6月21日、同30日で「系譜」の真ん中と同時期、右は33年10月25日。左2本は形態も安定せず、顔の描彩も目尻が下がってにやけた表情。鹿間氏が言った太治郎晩年の助平面なのか。なお、この2本には左端「三代目太治郎」、2番目「太治郎孫」と署名に書き添えてある。本稿のこけしでは、そのような添え書きが無くなり、弘道のこけしとして一本立ちした意欲が感じられる。そんな点も考慮にいれると、この7月作が本格的な弘道こけしの誕生と言って良いのではないかと思う。この後、10月作に繋がる8~9月作が有るのであれば、ぜひとも見てみたいものである。

Hiromiti_s3307_syomei_hikaku  

上4本の署名である。初期の弘道こけしには製作日付も書かれているので、便利である。

Hiromiti_s3307_tajiro

その後、太治郎のこけしを探していたら、何と本作によく似たもの(右)が出てきた。太治郎の作で、こんなに頭が丸いものも珍しいが、底書きでは「71才作 昭和14年6月入手」とある。弘道の本作は、太治郎のこのような作を参考にして作られたのかも知れない。それにしても奇遇なことである。「弘道の微笑み」追及はまだまだ止められない…。

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