第706夜:黒から赤へ(吉弥)
遠刈田系のこけしの特徴と云えば、胴上下に引かれた2本のロクロ線が思い浮かぶ。このロクロ線は大正期から戦前の昭和15年頃までは紫色が多い。その訳は分からないが、北岡と小室の二大商店での大量生産により画一化されたのであろう。やがて戦前も昭和10年代の半ば頃になると第一次こけしブームの中で赤や緑のロクロ線も見られるようになった。今夜は佐藤吉弥こけしのロクロ線を見てみたと思う。
吉弥の戦前のこけしで残っているものは昭和15,6年以降のもので友晴木地であるが、kokeshi wikiの作例はロクロ線が無く、ロクロ線の色は確認できない。戦後の復活は昭和30年からで、頭は横広で大きく眉目の描線がよく伸びた剛直な表情のこけしである。当初のものは上下のロクロ線には黒が使われており、吉弥の優品の特徴ともなっている。第293夜を参照。
さて今夜紹介する吉弥のこけしは先日ヤフオクで入手したもので、大きさは7寸8分。胴底の署名は293夜の作と同様の61歳となっている。しかし、肩は撫で肩でロクロ線は赤に変わっている。眉目の描線は長く伸び、表情には甘さも加わって、コケティッシュな味わいのこけしになっている。
第293夜のこけし(左)と並べてみた。同じ61歳作でも、左は復活初期の作に近い物で、右はそれよりやや後のものと思われる。wikiには復活初期のもの(昭和31年)と翌32年の作が掲載されているが、本稿の2本はその間に位置するものと考えられる。即ち、古い順に、wiki31年、本稿左、本稿右、wiki32年となる。復活からほぼ1年の間に、頭の形(横広→縦長)、肩の形(張り肩→撫で肩)、ロクロ線の色(黒→赤)と変わって行ったのであろう。
吉弥のこけしは次男の哲郎が継ぎ、その後蔵王町の育成事業で工人になった草加秀行が哲郎について修業して継承されると思っていたが、秀行さんがこけしから離れてしまったようなのが残念である。
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