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第711夜:直治型のこけし(まとめ)

Naoji_kata_eitaro_kao 前回、哲郎の直治型をとりあげたことから、改めて直治型について纏めておこう。小原直治のこけしは「こけし辞典」で遠刈田系タイプとされており、遠刈田系を代表するこけしである。筆者は、我妻信雄のこけしが好きであり、信雄が直治型を目指したことから直治型に興味を持った。しかし、直治のこけしを入手するなどほぼ不可能で、信雄こけしを中心に他工人の直治型を集めている。今夜はそれら直治型のこけしを紹介する。口絵写真は英太郎直治型の表情。

小原(佐藤)直治は明治2年10月遠刈田新地の生まれで、佐藤周右衛門の三男、直助の兄である。周右衛門から二人挽きを、兄寅治から一人挽きを習った。明治26年、青根の小原仁平に招かれ小原木工所の職人となった。明治29年には仁平に見込まれて娘と結婚し、婿養子となった。直治は木工所を拡張して青根木地業の全盛期に活躍した。その後、青根の木地業は次第に衰退していき、大正11年12月18日、54歳で逝去した。

直治のこけしは昭和33年に鹿間時夫氏が所蔵の古こけしを遠刈田に持っていき、直治の弟子の菊地孝太郎等に話を聞いて、直治作とほぼ確定した(第239夜参照)。その鹿間蔵品と同手のものがらっこコレクション深澤コレクション米浪コレクション等に現存している。

直治こけしの特徴を纏めておこう。
1)大きさは7寸前後で、胴は肩の張った直胴
2)胴模様は重ね菊の間に赤の2本線を縦に入れた様式で襟菊とも呼ばれる
3)頭頂部には赤点と青点の2つがあり、そこから真っ直ぐな手絡線が放射状に伸びる
4)鬢の後ろに耳状の飾りがある
5)鼻は元が離れた割れ鼻である
6)口は墨2筆で間に紅が入る
7)前髪は振分けの富士山形と真っ直ぐに揃えたものの2種類がある

このように直治のこけしは特徴がはっきりしており、直治型の判断は容易であるが、各特徴は工人により差異が見られる。

Naoji_kata_1a

写真(2)は左から佐藤吉之助(6寸8分)第239夜参照で、これが直治型の始まりとなる。次に直治型を復元したのは朝倉英次で昭和36年のことである。写真(9寸9分)は昭和43年の作で初作ほどの鋭さは見られない。三番目は佐藤守正で昭和44年、写真(7寸)はそれよりやや後の作と思われる。守正の弟子の我妻信雄は昭和47年から製作。写真(7寸)は「こけしの会」頒布の箕輪直治の忠実な復元品(昭和55年)である。

Naoji_kata_2

写真(3)は左から佐藤英太郎。英太郎は昭和59年より製作。写真は同年6月の個展に初出品した直治写し。朝倉英次の息子光洋も直治型を継承しており、写真(6寸9分)は平成13年の作(らっこ直治か)。佐藤一夫も守正の弟子という関係から直治型を作る。写真(7寸)は平成9年の友の会頒布品。佐藤勝洋は平成10年から製作。写真(7寸)で肩に緑のロクロ線が入っているのは写真ではそう見えたからとのこと。

Naoji_kata_3

写真(4)は左から小笠原義雄(7寸5分)で平成26年10月のみちのくこけしまつり出品作。直治型の署名がある。次は前回紹介の佐藤哲郎作(7寸)。菊池啓(6寸)は昭和61年6月。啓は直治の弟子の菊池孝太郎の息子である。

このように同じ直治型であっても、各工人によって、また作った時期によって変化があり、色々と楽しめるこけしである。この直治型がこれからも引き継がれることを願うものである。

 

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