第760夜:弘道亡き後の太治郎型は…
6月15日に斎藤弘道さんが亡くなった。弘道さんは10年程前に高齢ということからこけし作りを引退し、土湯温泉を離れて福島市町庭坂で娘さんと一緒に暮らしており、その後の動静は定かではなかった。94歳ということから大往生と言って良いだろう。今年になって4月に2本、そして今月になって1本、西山敏彦さんの太治郎型がヤフオクに出品され、落札できた。今夜はそれを見ながら、弘道さんを偲ぼうと思う。口絵写真は…
西山敏彦さんが何時から、どういう経緯で太治郎型を作り始めたのか筆者は未だ知らないが、2年程前にヤフオクに出品されたものを入手したのがキッカケであった。それは第623夜で紹介した。今回入手した3本はそれとは異なるものであることから、何種類かを作ったのであろう。また、胴底の書き込みから、それらは平成21~22年に作られたものと思われる。
先ずはこちらをご覧頂こう。大きさは8寸3分。胴底には「’09.8.25 中根氏より」との書き込みがあり、2009年(平成21年)8月25日、大阪こけし教室の中根会長から入手したものと思われる。大阪こけし教室は新工人の発掘や復元等を積極的に行っており、その一環として作られたものと思われる。
ほぼ同型の弘道こけし(左)と並べてみた。弘道こけしは8寸1分、昭和34年9月4日作である。頭頂部が角張り、頬がややほっそりした34年後半の作である。弘道作は胴がエンタシスであるが、敏彦作は胴裾が窄まっておらず三角胴に近い形態になっている。緑のロクロ線が濃く、紫の波線が太い濃厚な雰囲気がよく出ていると思う。
次はこちらをご覧頂こう。左は8寸3分、右は6寸。左の胴底に「H22.7.22 」の書き込みがあるが、2本とも同時期のものであろう。頭が球形に近く、胴は太目になっている。
こちらも同型の弘道こけし(中)と並べてみた。弘道こけしは7寸、胴底に「42.9.6 這子 於弘道宅作ラス」との書き込みがある。「こけし這子の話」に掲載された太治郎こけしの写しである。敏彦作は目の位置が下がって、瞳も小さく黒目勝ちになっているなど、全体的は雰囲気はこれに近いと思う。但し、緑のロクロ線が薄く、紫の波線も細いためにあっさりした感じになっている。また、赤と紫の波線が3段になっているなど忠実な写しではないことが分かる。太治郎なり弘道のこけしをそのまま復元したのではなく、あくまで敏彦さんが感じた太治郎こけしを彼なりに再現したこけしということができる。
弘道さんが亡くなってしまった今、土湯系の重要なこけしである太治郎こけしを継ぐのは、太治郎の師匠筋である西屋の直系の敏彦さんが一番であり、今後を見守っていきたいと思う。
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