第771夜:作田隆のこけし
こけし工人で「作田」と言えば、遠刈田系の作田栄利が頭に浮かぶ。栄利は戦前から格調の高いこけしを作っており、特に玄人筋に人気が高い。その栄利には「隆」という弟が居ることは知られているが、そのこけしがどのようなものなのかを知っている収集家は多くはないだろう。kokeshi wikiには隆のこけしの写真が載っているが遠刈田系の一般的なもので興味を惹かれるものとは言い難い。その隆の古いこけしをヤフオクで入手したので紹介したい。口絵写真はその表情である。
作田隆は明治33年、遠刈田温泉の生まれ。作田栄利の2歳下の弟である。大正5年佐藤吉郎平の弟子であった兄栄利から木地を学び、栄利と共にこけしや木地玩具を作った。大正8年栄利の入隊とともに木地から離れ、以後うどん屋や労務者も務める。昭和22年に栄利とともに木地業を再開、28年に新地に工場を建てて独立、30年頃からこけし製作も始めた。隆の戦前の作は知られておらず、こけしの紹介は<こけし手帖21>の鹿間時夫氏の「古作追求の旅」(昭和33年)が最初であるようだ。また、土橋慶三著「こけしガイド」(S33.11.1発行)にも復活後の写真が載っている。
こちらが今回入手の隆こけし。大きさは7寸。胴底の署名に59才の記載があるので昭和33、34年頃の作と思われる。頭頂部が扁平の角張った頭は横広で、撫で肩の胴には上下に2本ずつ緑のロクロ線を締め、その間に簡素な4段の重ね菊を描いている。顔も横に広く、眉目は横に長く伸びて湾曲は少ない。上下の瞼の間隔は狭く、そこに点状の眼点を入れている。やぶにらみのようなキツイ表情である。割れ鼻はとても小さく、口も小さな赤二点である。<手帖21><こけしガイド>の写真と比べると、肩の丸みが少なくなったのと鼻が小さくなったのが区別できる程度で、ほぼ同様のこけしである。なお、<手帖>で鹿間氏は「隆氏のを作ってもらったが、素朴さは往年の佐藤茂吉の味がする」と記載している。
こちらに頭頂部(左)と胴底の状態を示す。頭頂の赤い手絡の描き方が独特で興味深い。戦前はこのように描いていたのであろうか。wikiには昭和35年の作例が載って入るが、そこでは手絡は前髪から放射状に延びた一般的なものになっており、本作の様式とは異なっている。
戦後の22年に復活した作田兄弟のこけしを並べてみた。栄利(右)は20年代中頃の作、その完成度の高い出来栄えは素晴らしく、素朴で稚拙さの残る隆作と好対照である。
« 第770夜:友の会9月例会(R7) | トップページ | 第772夜:古型ロクロ続編(恵介最初期) »
「遠刈田系」カテゴリの記事
- 第775夜:静助参上!(2025.11.05)
- 第771夜:作田隆のこけし(2025.10.06)
- 第762夜:庄七を求めて(2025.07.22)
- 第761夜:ネコ目の庄七(2025.07.19)
- 第758夜:友の会6月例会(R7)(2025.06.24)
「全て」カテゴリの記事
- 第778夜:淳一こけし展(2025.11.26)
- 第777夜:友の会11月例会(R7)(2025.11.25)
- 第776夜:ステッキこけし(2)(2025.11.20)





コメント