第775夜:静助参上!
大寸でも一筆目の静助こけしは好きなこけしの一つである。「木の花(第3号)」に載った『静助こけし発掘の由来』には心が躍った。しかし製作期間が1年程という静助こけしは残存数が少なく、入手する機会にも恵まれず、静助型こけしを集めることで我慢していた。先月ヤフオクに出品された静助こけしは1尺2寸という大寸であったためか応札数、応札価格とも控え目となり遂に入手することが出来た。今夜はその静助こけしを紹介しよう。口絵写真は表情である。
佐藤静助は、明治34年9月15日、佐藤周吾の長男として青根温泉に生まれた。遠刈田系の主要系列である周治郎系列の直系工人である。大正3年より父周吾につき木地挽を始め、盆、鉢、こけし、玩具類等を作った。 大正10年より北岡工場で働き、一時東京に出たが大震災で戻り、大正14年福島市大町に移り仲間町管野菊好堂の職人となって木地も挽いた。昭和13年3月より福島市曾根田(殿田)で独立開業したが、同年高久田修司氏に発見され、本格的にこけしを作るようになった。しかし、再開して僅か一年余りの昭和14年11月11日に39歳で急逝した。
再開後に最初にこけし界に知られたこけしは、高久田氏の指示で静助を訪ねた秋田季一氏によってもたらされた2本であり、昭和13年7月のことである(kokeshi wiki参照)。5寸5分の普通型と4寸5分のこげす型である。以後、静助はこの2種のこけしを作った。
こちらが今回入手の静助こけしである。大きさは1尺2寸。「こけしの世界」に同寸の久松蔵品が載っているがそれと同手であり、静助こけしの中では最も大きなものであろう。胴底には「十和田湖 高瀬善治」と書かれており、これは勿論誤りであるが興味深い。単なる書き間違いと思われるが、十和田湖の高瀬商店で入手されたとしたら夢は広がる…。いずれにせよ、これまで蒐集界に知られたこけしではないということである。
静助こけしの細部を見てみよう。頭部の描彩である。静助こけしの頭はやや横広の丸頭が多いが、本作は大寸のためか縦、横とも9.5cmと同じになっており、頭頂部がやや角張り、頬から顎にかけては丸みを帯びている。前髪は小さく3筆で描かれ、その後ろに緑と赤で2つの丸点を入れ、そこから放射状に赤い手絡が伸びている。その内の真ん中の1本はくねりながら後ろに伸びる。後頭部に3つの山型の飾りは無い。前髪の先頭部からは鬢の後ろにかけて鬢飾りが描かれ、その鬢飾りと手絡の間には緑5筆で飾りが入り、赤一色の単調な手絡模様に彩りを添えている。
前髪からかなり間を空けて、細い眉がさらりと描かれ、その下に同じような描線で一筆目が描かれているが、この一筆目は中央部にかすかなアクセントを入れているのが見て取れる。眉の高さから描かれる鬢は細く、小さな割れ鼻に2筆の小さな紅口が愛らしい。大きな頭部に描かれた面描の筆致はサラッとして軽やかで、そこからは大らかで優しい雰囲気が溢れており、聖母マリア様を思わせる。
胴は下部がやや開いた三角胴気味。上下には2本の淡い緑のロクロ線を締め、その間に5つの菊を重ねている。前面の色彩が飛んでいるためやや見難いが、各菊花は花芯の最下部の赤点から下に2本の蕊が伸びている。また、胴裏には小さなアヤメ模様が描かれている。
静助のこけしが大寸物であっても皆一筆目であるのはどうしてだろうと思う。そのことについて、こけし界の先達の話や文献等でも明確に見聞きしたことはない。静助は昭和13年の復活にあたり、遠刈田時代のこけしを思い出して作ったのだという。遠刈田時代の静助は小寸の一筆目のこけししか作らなかったのであろうか…
« 第774夜:昭二の雄四郎型 | トップページ | 第776夜:ステッキこけし(2) »
「遠刈田系」カテゴリの記事
- 第775夜:静助参上!(2025.11.05)
- 第771夜:作田隆のこけし(2025.10.06)
- 第762夜:庄七を求めて(2025.07.22)
- 第761夜:ネコ目の庄七(2025.07.19)
- 第758夜:友の会6月例会(R7)(2025.06.24)
「古品」カテゴリの記事
- 第776夜:ステッキこけし(2)(2025.11.20)
- 第775夜:静助参上!(2025.11.05)
- 第770夜:友の会9月例会(R7)(2025.10.05)
「全て」カテゴリの記事
- 第778夜:淳一こけし展(2025.11.26)
- 第777夜:友の会11月例会(R7)(2025.11.25)
- 第776夜:ステッキこけし(2)(2025.11.20)







コメント