台風が去って久し振りの好天の中、10月を迎えてこけし関係のイベントも賑やかになってきた。さて、国恵志堂の主要蒐集こけしの1つである斎藤弘道のこけしは昭和31年頃から作られているが、評価の高い弘道こけしは昭和33年7月作がその始まりではないかということを第547夜に書いた。それと同時期の7月作の弘道太子型がヤフオクに出品され、頑張って入手したので改めて紹介したい。弘道の太子型は6寸に絞って集めているので、今回はその条件にも合致し、正に待っていたこけしが手に入ったという感じである。口絵写真はその表情である。
2週間ほど前になるが、ヤフオクに表情の良い土湯系こけしが出品されていた。その形体と描彩から、虎吉か二代目虎吉の作ではないかと思ったが、胴底に署名は無く、工人を連想させる記載もなかった。気になったのは、胴中央に大きく描かれたアヤメの模様。そこで、Kokeshi wiwkiの虎吉の項を見てみると、昭和16年の作として数本のアヤメ模様のこけしが載っていた。しかしそれらのこけしはいずれも潰し目で胴底には「佐久間虎吉/岩代川俣」のゴム印があると言う。また、アヤメの形状もやや異なるようだ。結局、工人名は特定できないままに入手することとなった。その後、工人も判明したので報告しよう。口絵写真は、その表情である。
筆者がこけしの収集を始めた昭和40年代後半頃には、二代目虎吉のこけしは入手難になっており、デパート等の展示・即売会では抽選品となっていた。その二代目虎吉のこけしも今では格段に安価になっており容易に入手が可能となっている。そんな二代目虎吉こけしの中でも、義雄名義(署名)のものは依然として高値で入手も容易ではない。製作数が少ないということが大きな要因なのであろう。戦後のこけしは沢山作られたこともあって今ではその多くが安価で容易に入手できるようになったが、一部の定番こけしは相変わらず人気があって高価になっている。義雄名義のこけしもその中の一つという事が出来るだろう。口絵写真は義雄こけしの表情である。
土湯系湊屋の佐久間虎吉は浅之助の7男、由吉を長男とする佐久間兄弟の末弟である。名立たる兄弟の中では若いだけあって清新な魅力に溢れたこけしを作った。古い時代のこけしは不明で、残っているこけしは昭和15年以降のものが大半である。戦後のこけしは当初は世の中の風潮に乗った新型っぽい甘いこけしであった、30年代後半に入って収集家からの勧めで自身の戦前のこけしを復元して復調し、収集界に喜ばれた。先週、ヤフオクに虎吉の息子義雄のこけしが出品されていた。「義雄」署名のこけしは少なく人気もあって入札価はみるみる上がっていった。そんな折、ヤフオクには虎吉のこけしも出品されていた。義雄と同じ大きさでよく似たこけしである。即決となっていたので、少し高いとは思ったが入手した。口絵写真は、その虎吉こけしの表情である。
2022年の年が明けて10日が経った。この間、新型コロナの変異種オミクロン株が急速に感染者を増やし、沖縄・山口・広島ではまん延防止等重点措置が発令された。ようやく落ち着いてきてイベント等も開かれるようになったこけし界も楽観はできない状況になりつつある。さて、今年2回目のブログ掲載には、昨年末に入手した土湯系の高橋仲代のこけしを取り上げることにした。国恵志堂コレクションの中でも太治郎型は重要な位置を占めており、その範疇のこけしとして仲代のこけしには興味を持っていた。仲代のこけしは以前にもヤフオクに出品されたが、高額の競り合いに敗れて入手できなかった。今回はほどほどの価格であり入手に至った。口絵写真は、その仲代こけしの表情である。
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